(きびいけはいじ)
飛鳥時代の寺院跡。舒明天皇が舒明天皇11年(639)に造営を開始した百済大寺に比定されている。
長い間、その実態は不明だったが、発掘調査で、池の南側の堤付近で寺院の伽藍跡が発見され、伽藍の東に金堂跡、西に塔跡、北に僧房、それらを囲む回廊と推定される遺構が確認されている。金堂跡基壇は東西約37m、南北約28m、高さ約2mの飛鳥時代の最大規模のものである。
また、塔跡基壇は一辺約28m、高さ約2mであり、飛鳥寺や法隆寺の塔基壇の2倍以上の規模であり、九重塔で高さは100mに達するものであったと推定され、その大きさは同時代の寺院と比べると群を抜いている。
伽藍配置は、東に金堂、西に塔を配置するが、中門は金堂の前にあり、法隆寺式伽藍配置とは異なる。また、金堂と塔の距離は85mであり、法隆寺の2.7倍であり、その規模の大きさが推定できるものである。
出土瓦は、軒丸瓦の文様が、641年造営開始の山田寺のものより古い特徴を持ち、軒平瓦は法隆寺若草伽藍の軒平瓦を転用したものである。 舒明天皇の死後、百済大寺の造営は妻子である皇極天皇や天智天皇に引き継がれ、ほぼ完成を迎えたとされる。
のちに、百済大寺は移転し、高市大寺となり、さらに大官大寺(明日香村小山)へと変遷する。一貫して「大寺」を寺名に含む特別な寺院であった。
吉備池廃寺
吉備池廃寺
吉備池廃寺 伽藍配置
吉備池廃寺 伽藍配置


住所 桜井市吉備
アクセス 近鉄 大福駅 ~ 徒歩20分
時間 自由
費用

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