(きでらあと)
7世紀後半に創建された紀寺跡は、百済大寺(吉備池廃寺)の後身である高市大寺の候補地の一つとしてあげられる寺院跡である。
発掘調査では、南北一直線上に配置された南大門跡、中門跡、金堂跡、講堂跡が明らかになるとともに、東に偏して建てられた塔跡、寺域に限る掘立柱塀、工房跡なども確認されている。
創建当時は一辺226mの寺域をもつ大規模な寺院であったと推定される。その後、藤原京造営の際に条坊道路にあわせて寺域の再整備が行われた。
藤原京の廃都に伴って、平城京の東南部に移転したと推定されるが、その根拠や伽藍配置などは、不明である。
7世紀後半に創建された紀寺跡は、百済大寺(吉備池廃寺)の後身である高市大寺の候補地の一つとしてあげられる寺院跡である。
発掘調査では、南北一直線上に配置された南大門跡、中門跡、金堂跡、講堂跡が明らかになるとともに、東に偏して建てられた塔跡、寺域に限る掘立柱塀、工房跡なども確認されている。
創建当時は一辺226mの寺域をもつ大規模な寺院であったと推定される。その後、藤原京造営の際に条坊道路にあわせて寺域の再整備が行われた。
藤原京の廃都に伴って、平城京の東南部に移転したと推定されるが、その根拠や伽藍配置などは、不明である。
住所 | 高市郡明日香村小山 |
アクセス | 近鉄 畝傍御陵前駅 ~ 徒歩20分 |
時間 | 自由 |
費用 |
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