天理駅から南東に約2kmの位置にあり、境内の西側からアクセスすると社号標と大鳥居がある。
参道を進むと社務所の前に少し開けたスペースがあり、ニワトリがウロウロとしている不思議な光景が目に入ってくる。約40年前に奉納されたようで、自然繁殖をしながら、イタチなどの小動物から被害を受けながら羽数は大きく変わっていないとのこと。
さらに進むと、左手に楼門が見えてくる。
楼門 【重要文化財】
棟木に記されている墨書によると、鎌倉時代末期、後醍醐天皇の文保2年(1318)に建立されたことが知られている。
二重の正面に掲げてある木額の「萬古猶新(ばんこゆうしん)」の字は、明治・大正の元老として有名な山縣有朋の筆によるもの。
中に進むと、白河天皇が鎮魂祭(ちんこんさい)のために永保元年(1081)に、皇居の神嘉殿を移したとされる拝殿がある。
拝殿 【国宝】
鎌倉時代初期の建立と考えられ、拝殿としては現存する最古のもの。本殿がなく拝殿後方の禁足地を神聖な地としてきたので、その間は本殿と同等の扱いを受けてきた。
楼門前の丘の上には、摂社・出雲建雄神社(いずもたけおじんじゃ)と末社・猿田彦神社がある。
出雲建雄神社
延喜式内社で、草薙剣の荒魂(あらみたま)である出雲建雄神を祀っている。江戸時代には、 出雲建雄神は祭神・布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)の御子神と考えられ、そのため 「若宮」と呼ばれていた。
摂社・出雲建雄神社拝殿 【国宝】
元来は、800m南にあった内山永久寺の鎮守住吉社の正安2年(1300)建立の拝殿であり、明治時代初期の廃仏毀釈で荒廃していたものを、大正3年(1914)に移した。数少ない内山永久寺の遺構である。中央に通路を設けた割拝殿で、この様式としては最古の例である。
奥には、摂社・天神社と摂社・七座社がある。
天神社・七座社
天神社には、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)の2座を、七座社には、生産霊神(いくむすびのかみ・中央)、足産霊神(たるむすびのかみ・中央右)、魂留産霊神(たまつめむすびのかみ・中央左)、大宮能売神(おおみやのめのかみ・右側中央)、御膳都神(みけつかみ・左側中央)、辞代主神(ことしろぬしのかみ・右端)、大直日神(おおなおびのかみ・左端)の七座を祀っている。 両社の九座は、 生命を守護する宮中八神に、 禍や穢(けがれ)を改め直す大直日神を併せて祀ったものであり、鎮魂祭と深い関係があり、 上古から御鎮座になっていると伝えられている。
山の辺の道のハイキングコースは、天理~桜井のルートが有名であり、天理側はここ石上神宮となっている。それだけではなく、祭神に関わる多くの神話があり、そのどこか幻想的な空気感を感じることができるところである。
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