内山金剛乗院の院号をもつ真言宗古義派の大寺であった。永久年間(1113~1118)に鳥羽天皇の勅願により大乗院本願隆禅法印の弟子である頼実法印が建立した年号寺で、平安時代には多くの堂塔坊舎をかかえた。延元元年(1336)に後醍醐天皇が吉野へ逃避する途中、身を隠したという。文禄4年(1595)に豊臣秀吉から寺領を与えられ、五町四方の広大な寺域に坊舎52坊が立ち並ぶ大寺となった。廃仏毀釈によって明治8年(1875)前後に廃絶して現在は廃寺と化したが、鎮守社の拝殿が石上神宮の出雲建雄神社の拝殿【国宝】として再利用されている。
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