(あべもんじゅいん) 公式サイト
日本三文殊
天橋切戸の智恩寺、山形県亀岡の大聖寺と並んで、日本三文殊の一つに数えられる寺。
学業成就にご利益があるといわれ、俗に「知恵の文殊さん」あるいは「安倍の文殊さん」として親しまれ、受験期には毎年大勢の人が合格祈願に訪れる。
あたりは古代から続く豪族・安倍氏が本拠地を置いた場所。 大化改新で左大臣として活躍した安倍倉梯麻呂(くらはしまろ)が一族の氏寺として築いた安倍寺が前身。
当時の境内は現在より300mほど南西にあり、法隆寺式配置の大伽藍を誇ったというが、妙楽寺(現在の談山神社)の襲撃などによって失われた。
現在の境内は平安時代末に本山の別所として築かれたもので、本山と統合されたのは鎌倉時代初期。
本尊である文殊菩薩騎獅像が造られたのもこの頃で、その後は陰陽師・安倍清明の本家寺ということもあり、満願祈祷の寺として信仰を集めた。
永禄8年(1565)に戦国大名の松永久秀の兵火によって全山焼失するが、文殊菩薩とその脇侍のうち3体は火災を逃れた。
元亀2年(1571)に文殊堂が建てられ、寛文5年(1665)に現本堂と礼堂(能楽舞台)が再建され、現在に至る。
平安時代に陰陽師として活躍した安倍晴明ともゆかりが深く、境内には本堂のほか、清明堂や清明が天文観測したという展望台などがある。
その年の干支を約8,000株のパンジーで表したジャンボ干支花絵もみどころの一つ。
安倍文殊院 本堂
本堂

木造文殊菩薩騎獅像 【国宝】
高さ7mで日本最大の文殊菩薩像。建仁3年(1203)に仏師・快慶による作(鎌倉時代)であり、宋様式の傑作といわれる。
獅子に乗り4人の脇侍を伴い渡海文殊の場面をなす。
左側で優填王像(うでんのうぞう) 【国宝】が手綱をとり、善財童子像(ぜんざいどうじ) 【国宝】が先導、右側には、須菩提像(すぼだいぞう)(仏陀波利三蔵) 【国宝】維摩居士像(ゆいまこじぞう)(最勝老人) 【国宝】が侍している群像となっている。桃山時代の作である維摩居士像以外の3体は快慶の作。
【特記事項】
2013年2月27日にいずれも国宝に指定。
【安倍文殊院】木造文殊菩薩騎獅像
渡海文殊
(左から維摩居士像、須菩提像、騎獅文殊菩薩像、善財童子像、優填王像)

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