(よしのみくまりじんじゃ)
世界遺産
(紀伊山地の霊場と参詣道)

吉野八社明神の一つで子守明神ともいわれている。創建については明確でない。
『延喜式神名帳』には大社に列し、四時祭式には祈年祭に奉幣物へ馬一頭を加えられ、臨時祭式では祈雨祭神八十五座の中に「吉野水分一座」として記されている。
『続日本紀』には文武天皇2年(698)4月29日に雨を祈るため馬を奉ったと記されている。
やがて、農耕を司る神とされ、毎年4月3日には御田植神事が行われる。子守の名は、「水分」の「みまくり」が「身籠り」「御子守り」と転訛したもので、拝殿には現在も授かった子供の写真などが供えられている。
現在の社殿は慶長9年(1604)に豊臣秀頼による再建で、本殿・拝殿・楼門・回廊・弊殿【重要文化財】からなり、華麗な桃山建築を伝えている。
本殿は高い石段の上に建立され、中央の春日造の主殿に左右流造の3つを1つの棟に連ねた三社一棟造という独特の神社建築である。
7体の神像はすべて平安時代から鎌倉時代の木像である。 木造玉依姫命(たまよりひめのみこと)坐像 【国宝】は「建長三年(1251)十月十六日」の胎内墨書銘がある。
木造天万栲幡千々(あめのよろずたくはたちぢ)姫命坐像 【重要文化財】は藤原時代の作でありる。
拝殿の芋の葉唐草釣燈籠4個【重要文化財】には、「慶長九年(1604)年」の銘がある。
元水分神社跡と伝えられる場所から拝む山は神体山特有の円錐形の山で、東へ音無川、西へ秋野川、南へ丹生川、北へ象川(喜佐川)(きさがわ)と流れる四水流の分水嶺として水分神の鎮座地にふさわしい地形である。
吉野水分神社 風景
吉野水分神社
吉野水分神社 本殿
本殿

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