(じこういん) 公式サイト
寛文3年(1663)に小泉藩主の片桐貞昌が、亡父・貞隆の菩提を弔うため、京都大徳寺百八十五世の玉舟宗璠を開山として創建した寺。寺号は貞隆の戒名「慈光院殿雪庭宗立居士」に由来する。
片桐貞昌の号は石州といい、茶人として名高く、石州流茶道の祖と仰がれる。石州が境内に造営した庭園は当麻寺の中之坊、吉野山の竹林院と合わせて大和三名園に数えられる。
国名勝・国史跡に指定された枯山水と借景庭園、入母屋造茅葺の書院、切妻像柿葺の亭主床茶室、道安好みの閑茶室などはいずれも石州設計の遺構として、重要文化財に指定されている(昭和25年に茶室、書院、手水鉢が【重要文化財】に指定)。
史跡保存物にしてされた茨木門は摂津茨木城が徳川家康の一国一城令により破却される際に、城の楼門を貰い受けて移し、屋根を茅葺に改造したものという。
本尊の木造釈迦如来坐像が平安時代の作である。
奈良盆地北部に縦断する富雄川のほとり、小高い丘の上に立つ禅刹。境内は寺というより草庵に近い、独特の趣がある。
寛文3年(1663)に小泉藩主の片桐貞昌が、亡父・貞隆の菩提を弔うため、京都大徳寺百八十五世の玉舟宗璠を開山として創建した寺。寺号は貞隆の戒名「慈光院殿雪庭宗立居士」に由来する。
片桐貞昌の号は石州といい、茶人として名高く、石州流茶道の祖と仰がれる。石州が境内に造営した庭園は当麻寺の中之坊、吉野山の竹林院と合わせて大和三名園に数えられる。
国名勝・国史跡に指定された枯山水と借景庭園、入母屋造茅葺の書院、切妻像柿葺の亭主床茶室、道安好みの閑茶室などはいずれも石州設計の遺構として、重要文化財に指定されている(昭和25年に茶室、書院、手水鉢が【重要文化財】に指定)。
史跡保存物にしてされた茨木門は摂津茨木城が徳川家康の一国一城令により破却される際に、城の楼門を貰い受けて移し、屋根を茅葺に改造したものという。
本尊の木造釈迦如来坐像が平安時代の作である。
奈良盆地北部に縦断する富雄川のほとり、小高い丘の上に立つ禅刹。境内は寺というより草庵に近い、独特の趣がある。
撮影日:2012.12.08
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