(みずおちいせき)
斉明天皇6年(660)に中大兄皇子が飛鳥に造った漏刻(水時計)台跡と推定される遺跡。
基壇は下底辺22.5m四方で約17度の傾斜をもつ方台形を形成する。
基壇の四周には、底幅約1.8mの、貼石を施した溝をめぐり、基壇上には、四間四方で中心の柱を欠く総柱風の建物が建つ。
この建物は、円形柱座を彫りこんだ礎石を地中に据え、礎石間やその外側の数個の川原石で固定するなど特異で堅固な地下構造を有している。
また、建物の中心には台右上に漆塗木箱が置かれ、その周りをめぐうように木樋や銅管が埋設されていることから水時計台の跡と推測された。
水落遺跡
水落遺跡(南から)
水落遺跡
水落遺跡(北から)
水落遺跡の位置する飛鳥寺西方の一帯は斉明朝から天武朝にかけての饗宴の場とされる。
北方の石神遺跡には迎賓館と推定されている大規模な掘立柱建物群などが展開し、水落遺跡からの木樋暗渠が延びていることからも、水落遺跡と石神遺跡は一連の遺跡であると考えられている。
近年、すでに整備が行われている水時計跡の東南部からも、漏刻台以前の大規模建物や長廊状建物などが検出されており、飛鳥寺西方~西北方における遺跡の変遷と全体像の解明が進みつつある。
水落遺跡 現地の解説
現地の解説

漏刻(水時計)模型
発掘所見や中国の文献、中国故宮博物院に遺されている清代(1636~1912)のものなどに基づいて推定復元された模型で、飛鳥資料館に展示されている。
木樋で建物の基壇中央まで水を引き、水位差を利用した揚水装置と銅管を用いて漏刻に給水していたと考えられる。
漏刻は階段形になっており、その最上段の升に給水し、順次下段の升へと水を移していき、最下段の目盛の変動量で時を刻んでいた。
この四段式の漏刻は唐の呂才が貞観年間に考案したとされ、当時としては最新の設備である。遣唐使が飛鳥の地へ伝えたと推定される。
漏刻模型
漏刻模型(飛鳥資料館

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