(はんにゃじ) 公式サイト
西国薬師第三番札所 奈良と京都を結んだ旧街道に面して立つ。東大寺大仏殿や興福寺の塔が遠望できる北山の景勝地である。
源平争乱の兵火をくぐり抜けてきた。
4・5月はヤマブキ、6・7月はアジサイ、夏頃(6月中旬~7月中旬)と秋(9月中旬~10月中旬)にはコスモス、冬はスイセンなどが咲き乱れ、四季折々に華やぎを添える。
関西花の寺第十七番札所でもあり、コスモスの寺として有名である。
般若寺
般若寺
般若寺のコスモス
般若寺のコスモス [2013.06.30撮影]

楼門 【国宝】
和様に天竺様をまじえた鎌倉時代の建築。四脚門形式の初層に入母屋造本瓦葺の楼閣を載せる。門を額縁として石塔を撮った写真が有名である。
般若寺 楼門
楼門

十三重石塔 【重要文化財】
境内中央に立ち、厳しさのある美をたたえる。建長5年(1253)、宋の石工の伊行末が建立し、下部の方石に薬師、阿弥陀、釈迦、弥勒の四仏が線刻されている。
解体修理により、内部から仏像や舎利塔など多数の納置品【重要文化財】が発見され、現在は宝蔵堂(不定期開扉)に納められている。
石塔内に納められていたという高さ31cmの銅造薬師如来立像【重要文化財】、嵯峨天皇宸筆という扁額【重要文化財】、鎌倉時代末期の製作とみられる木造厨子入舎利塔【重要文化財】は奈良国立博物館に寄託されている。
般若寺 十三重石塔
十三重石塔

木造文殊菩薩騎獅像 【重要文化財】
高さ46cmの一木造。元亨4年(1321)、仏師康俊・康成の作で、台座・光背も同時期のもの。
般若寺 文殊菩薩騎獅像
木造文殊菩薩騎獅像
出典:般若寺パンフレット

石造笠塔婆 【重要文化財】
十三重石塔の東側にある2基の高さ4.7mの石柱。釈迦三尊の種字などを彫り、伊行末の子・伊行吉が父の追善と母の延命を祈って弘長元年(1261)に各1基を建造したと銘文にある。
般若寺 石造笠塔婆
石造笠塔婆

<歴史・伝説>
飛鳥時代・舒明天皇元年(629)に高句麗の僧・慧灌(えかん)が開創、天平7年(735)、聖武天皇の勅願により行基が寺観を整え、平城京の鬼門を守る寺とされた。
天平勝宝8年(756)の『東大寺古図』に伽藍が見え、その頃までに成立していたことは確か。
寛平7年(895)頃に理源大師聖宝の弟子・観賢が学問道場を開いて学問寺として発展したが、平重衡の南都焼討で伽藍の全てを焼かれた。
重衡はのちに捕らえられて鎌倉に移送され、身柄引き渡しのため再び南都へ向かう途中、奈良坂で処刑され、首は般若寺に晒されたという話が伝わる。
鎌倉時代には、良恵や叡尊の勧進で諸堂が復興した。十三重石塔はそれに先立つ再建で、民衆の信仰の結晶であったと寺の資料は伝える。
叡尊と弟子・忍性が福祉事業を行ったという北山十八間戸の遺構も近くにある。その後、松永久秀の戦火を受けるなど栄枯盛衰を重ねた。

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