(とようらてらあと)
豊浦寺は推古天皇11年(603)に創建された。推古天皇が豊浦宮から小墾田宮(おはりだのみや)に移る際に、蘇我馬子が豊浦宮を譲り受けて、寺とした。
また、蘇我稲目の邸宅である向原の家を寺とした桜井寺に寄進されたともいわれる。
(桜井寺は百済から贈られた仏像を安置、その後、司馬達等の娘・善信尼が住んで尼寺となり、推古天皇の寄進の際に、豊浦寺にかわったとされる。)
日本で最初の尼寺といわれ、建興寺、小墾田豊浦寺、豊浦尼寺とも呼ばれた。また、向原寺、桜井寺も豊浦寺の地にあったとされる。
9世紀には既に堂宇が崩れ、中世には衰亡。講堂跡に現在の向原寺がある。
伽藍配置の詳細は不明であるが、金堂、講堂、塔、回廊や尼房の基壇と思われる遺構が部分的に確認されている。
豊浦寺跡
豊浦寺跡
現・向原寺の境内
現・向原寺の境内
金堂は、向原寺の南にある豊浦集会所の辺りで一部分検出され、規模は東西17m、南北14mにもおよぶと想定される。
講堂は飛鳥寺とほぼ同規模と推定されるほど巨大である。なお、これらの建物群は軸線が真北ではない。
また、豊浦寺下層では、豊浦宮のものとみられる石敷きを伴う掘立柱建物跡が見つかっている。
向原寺の南には、なんば池があり、蘇我氏と対立していた物部氏が百済伝来の仏像を捨てたという伝承がある。
その仏像を本田善光が拾って、信濃に持ち帰って安置したのが、善光寺の始まりだという言い伝えもある。
なんば池
なんば池

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