(とうしょうだいじ ほうぞう・きょうぞう) 【国宝】
東室の東側に南北に並んで立つ校倉造の蔵で、南側経蔵、北側宝蔵とする。ともに3間四方、寄棟造の天平建築であるが建立の年代については明確ではない。
『招提寺建立縁起』に「東一甲倉一宇、二甲倉・三甲倉・在地主屋倉」にある中の2棟に該当すると思われる。
経蔵は、唐招提寺がこの地に開かれる以前からあった建物2棟を1棟に造り替えたもので(新田部親王邸の米倉を改造したものとされている)、境内では一番古い建物となる。
正倉院の宝庫よりも古く、現存する最古の校倉とも言われている。内部には、南北朝時代に作られた木造の文殊五尊像が安置されている。
宝蔵は、古文書によると当初は鑑真将来の舎利3千余粒を蔵していたようである。
経蔵は昭和27年(1952)、宝蔵は昭和33年(1958)に解体修理工事が行われ、現状変更により当初の形式に復元された。
東室の東側に南北に並んで立つ校倉造の蔵で、南側経蔵、北側宝蔵とする。ともに3間四方、寄棟造の天平建築であるが建立の年代については明確ではない。
『招提寺建立縁起』に「東一甲倉一宇、二甲倉・三甲倉・在地主屋倉」にある中の2棟に該当すると思われる。
経蔵は、唐招提寺がこの地に開かれる以前からあった建物2棟を1棟に造り替えたもので(新田部親王邸の米倉を改造したものとされている)、境内では一番古い建物となる。
正倉院の宝庫よりも古く、現存する最古の校倉とも言われている。内部には、南北朝時代に作られた木造の文殊五尊像が安置されている。
宝蔵は、古文書によると当初は鑑真将来の舎利3千余粒を蔵していたようである。
経蔵は昭和27年(1952)、宝蔵は昭和33年(1958)に解体修理工事が行われ、現状変更により当初の形式に復元された。
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