(もとやくしじあと)
特別史跡
本薬師寺の金堂と東西両塔の基壇と礎石が残されており、この部分だけが特別史跡に指定されている。寺域は藤原京の右京八条三方の全域(2町四方)におよび、左京の大官大寺と対峙する位置に配されていたと推測される。
現在、金堂基壇上には浄土宗に属する本薬師寺の本堂及び庫裏が立ち、その前庭や東西両塔跡には礎石が遺存する。この基壇や礎石の規模が平城京の薬師寺とほぼ同等であることがわかっているが、中門や回廊の発掘調査からは規模や構造が平城京の薬師寺とは異なることが明らかになった。
本薬師寺跡
本薬師寺跡
金堂基壇上の礎石
金堂基壇上の礎石
東塔跡遠望
東塔跡遠望
東塔跡の礎石
東塔跡の礎石

歴史的に重要な位置付けにありながら、住宅街にあり、一見すると見落としそうになる場所にある。
近年は休耕田を利用して、農家の人たちと近所の小学校の子供たちがホテイアオイを植栽し、観光名所になっている。見頃は8月中旬~9月下旬。
ホテイアオイと周辺の町並み
ホテイアオイと周辺の町並み
ホテイアオイ
ホテイアオイ

<歴史・伝説>
『日本書紀』によると、天武天皇9年(680)11月、皇后(後の持統天皇)の病気平癒のために、天武天皇が発願した。
創建時期を明瞭に示す史料に乏しいが、天武天皇没後の持統天皇2年(688)以降、法会の記事が散見し、同11年には開眼会が行われ、『続日本書記』文武天皇2年(698)10月にはほぼ完成していたと見えるが、「造薬師寺司」がみえる大宝元年(701)、同2年(702)頃まで造営は続いたようである。

和銅3年(710)の平城京遷都に伴い、京内(右京六条二坊の地)に薬師寺が創建され、以後、もとの伽藍は本薬師寺と称された。
発掘調査により、本薬師寺は平城京の薬師寺と同規模の二塔一金堂をもつ薬師寺式伽藍配置であったこと、主要伽藍は平城京遷都後も存続し、修造に際して平城京の薬師寺の瓦が供給されていたことなどが確認されている。

住所 橿原市城殿町
アクセス 近鉄 畝傍御陵前駅 徒歩10分
近くに公衆トイレと駐車場あり
時間 自由
費用

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