律令政治が整い、仏教も定着し、唐様式が取り入れられ、大型の金銅仏が造立されるようになる。
また、伽藍配置は仏舎利を納める塔中心から仏像を安置する金堂中心に移っていった。これを現身仏(仏舎利)重視の考え方から理仏(仏像)重視の考え方への変遷によるものであるとされている。
伽藍配置 薬師寺式 薬師寺式
初めて塔を東西の両方に並置した伽藍で双塔式の伽藍配置と称される。
回廊内の金堂の前面東西に置く形式と、金堂の東西に塔を置く形式と2種類あるが、類例としては前者が多い。
紀伊上野廃寺や河内百済寺が薬師寺式伽藍配置をとるものとして明らかにされているが、最も早い例としては、軒瓦類の調査結果から本薬師寺であるとされている。
なお、塔を二つ配置する形は新羅に多くみられることから、新羅系ともいわれる。
伽藍配置 東大寺式 東大寺式
二つの塔を金堂院の外側(中門より南側)に置く伽藍配置である。
この二つの塔の配置だけに着目すると大安寺式への変遷とも考えられるが、建立時期は大安寺より遅れることになる。





伽藍配置 大安寺式 大安寺式
南面回廊の南に塔を二基配置する形式である。
造立に関わった僧の道慈が唐において鎮護国家の基本としていた寺に範を求め、鎮護国家体制を具現する寺として造営が進められ、完成した伽藍配置であるとされている。

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