(いさがわじんじゃ) 公式サイト
大神神社の境外摂社。
毎年6月17日に行われる例祭は『神衹令義解』に「率川社の祭なり。三枝(ユリの古名)花をもって酒樽を飾る祭。故に三枝という」とあり、当日はユリの花で酒樽を飾り祭典を行うので、三枝祭(ゆり祭り)の名がある。
この祭は、神武天皇が三輪山の麓の狭井川のほとりで、ササユリを摘んでいたときに、五十鈴姫と出あったと言われる故事にちなむといわれる。
既に、「大宝令」に示された鎮花祭に因む祭で、奈良時代以前に始まったとされるが、その後は長く途絶え、明治時代に古式の祭儀として復活した。
4人の巫女がユリをかざして舞を奉納する神事が終わると酒樽のまわりを飾っていたユリが病気除けとして参拝者に授けられる悪疫除け祈願の行事である。
本殿は一間春日造で、三殿が障壁によって繋がれている。
中殿の姫神(媛蹈鞴五十鈴姫命)をはさんで、左右の御殿には左:御父神(狭井大神)と右:御母神(玉櫛姫命)が、まるで姫神を擁護するように鎮座するので子守明神と呼ばれ、安産・育児の神として信仰を集めている。
また、地名の本子守町の起こりとなっている。
率川神社
率川神社
拝殿
拝殿
本殿
本殿 (引用:率川神社公式サイト

境内には摂社の率川阿波神社、末社の春日社・住吉社がある。
率川阿波神社は奈良市最古の恵比寿社であり、商売繁盛を願う多くの参拝者が訪れるとのことである。
住吉社(左)、率川阿波神社(中央)、春日社(右)
住吉社(左)、率川阿波神社(中央)、春日社(右)

<歴史・伝説>
推古天皇元年(593)2月、大三輪君白堤が勅命によって、奉斎したと伝わるが、最古の記録は『続日本紀』の天平神護元年(765)八月の条に率河社云々とあるため、それ以前から創祀されていたと考えられている。
『延喜式神名帳』には率川坐大神御子神社(三座)と記されている。

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