(せいむてんのうりょう)
佐紀石塚山古墳
佐紀古墳群の西群を占める古墳で、日葉酢媛命陵、称徳天皇陵とともに「佐紀三陵」と呼ばれている。
この三陵の中で台地の西縁に築かれたためか、墳丘の東と西では数mの比高差がある。さらに前方部の長さも拝所を挟んで数mの違いがある。
西側で全長を計画した場合には220m、後円部径132m、前方部幅112mである。このような立地条件から、日葉酢媛命陵よりも後に築かれたと考えられている。
残された文書史料から3回に盗掘にあったことが知られている。1度目は平安時代、あと2回は江戸時代初期と幕末である。
これらの記録から内部施設は竪穴式石室に納められた長持形石墳があり、副葬品として剣、玉、鏡が存在していた。
しかし、成務天皇陵に治定されたのが江戸時代元禄のころとされ、これまでは現在の神功陵が成務天皇陵とされてきた。
称徳天皇陵 (佐紀高塚古墳)
成務天皇陵の南隣にある全長127m、後円部径84m・高さ18m、前方部幅70m・高さ13mの前方後円墳で、埴輪をともない周濠をめぐらす。
佐紀石塚山古墳
佐紀古墳群の西群を占める古墳で、日葉酢媛命陵、称徳天皇陵とともに「佐紀三陵」と呼ばれている。
この三陵の中で台地の西縁に築かれたためか、墳丘の東と西では数mの比高差がある。さらに前方部の長さも拝所を挟んで数mの違いがある。
西側で全長を計画した場合には220m、後円部径132m、前方部幅112mである。このような立地条件から、日葉酢媛命陵よりも後に築かれたと考えられている。
残された文書史料から3回に盗掘にあったことが知られている。1度目は平安時代、あと2回は江戸時代初期と幕末である。
これらの記録から内部施設は竪穴式石室に納められた長持形石墳があり、副葬品として剣、玉、鏡が存在していた。
しかし、成務天皇陵に治定されたのが江戸時代元禄のころとされ、これまでは現在の神功陵が成務天皇陵とされてきた。
称徳天皇陵 (佐紀高塚古墳)
成務天皇陵の南隣にある全長127m、後円部径84m・高さ18m、前方部幅70m・高さ13mの前方後円墳で、埴輪をともない周濠をめぐらす。
住所 | 奈良市山陵町 |
アクセス | 近鉄 平城駅 ~ 徒歩4分 |
時間 | 自由 |
費用 |
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