(しゅんがくいん)
文禄3年(1594)に没した僧・重勢が開いた寺院であるという。郡山の城下町に寺域をもつ町寺である。もとは、東光院と号した。
郡山城主の豊臣秀長が天正19年(1591)に没した跡、豊臣秀吉は城の南にある芦ヶ池付近に大光院を建立し、京都大徳寺の古渓和尚を住まわせて秀長の菩提を弔わせたが、豊臣家滅亡後、大光院は藤堂高虎によって大徳寺塔頭として京都へ移された。
このとき秀長の位牌を託された春岳院は大納言秀長の位牌菩提寺として町衆の崇敬を受けることになった。
春岳院の寺号は、秀長の戒名である「大光院殿前亜相春岳院紹栄大居士」に因むものである。
寺宝の御朱印箱と御朱印文書は、秀長が創始した城下町の箱本制度(城下の各町が伝馬や防災の責任を輪番で負う自治制度)に用いられたものである。
春岳院
春岳院
境内の風景
境内の風景

七重石塔と四方仏
七重層塔は鎌倉時代中期の造立のようである。その下には四方仏があり、奈良期の形式の素朴な姿をしているとされている。
西に弥勒、北に薬師、東に釈迦、南に阿弥陀とある。なかでも、説法印の釈迦像は珍しいものである。
七重石塔と四方仏
七重石塔と四方仏

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