(むろうじ かんじょうどう)【国宝】
  棟が高く荘重な趣があるとされている。『建内記』の後伏見上皇諷誦文(ふじゅもん:死者の冥福を祈るため、三宝への布施物や布施の趣旨などを記した文章)によって、延慶元年(1308)に供養されたことが知られる。
正面5間、側面5間、一重、入母屋造、檜皮葺で、正面を蔀戸(しとみど)、側面前より2間と背面中央を桟唐戸とするほかは板壁とする。
外観は背が高く、四隅の軒が強く反り返るのが印象的だが、軒の反りは近世の修理によるものである。
しかしながら、軀体部は創建当初の姿をよく残しており、貴重である。
組物は尾垂木を用いた二手先、中備は間斗束(けんとづか)で和様を示すが、頭貫(かしらぬき)の木鼻や桟唐戸には大仏様が混じる。
灌頂堂
灌頂堂

外陣、内陣ともに柱を置かずに広い空間とし、前面に格天井(ごうてんじょう)を張っている。
境の間仕切りは板扉と連子窓が設けられ、扉を閉じれば内陣は真っ暗となる。
内陣の中央には如意輪観音像を安置する厨子が、その前の左右には大壇が置かれ、両界曼荼羅が掛けられている。
多くの灌頂堂は中央に仏像の厨子は置かないが、『建内記』には本尊のことも見えるので、最初から安置されていたと考えられている。
なお、乾元2年(1303)に空智房忍空によって、金堂で伝法灌頂が行われ、この堂へと引継がれた。
如意輪観音菩薩像 【重要文化財】
灌頂堂の本尊で、鎌倉時代の厨子に安置される。
思惟手(しゆいしゅ:人差し指と中指と薬指を軽く頬にあてて考える姿)の掌を頬に当てる形をはじめとして、基本的に高雄曼荼羅の姿を用いているが、思惟手や輪宝手の肘の張りが大きく、幅広い空間に六手の動きを表す特徴をみせている。
また、光明山手に注目すると、多くの像が手を置く岩山の上面を平らにするなか、円頂形に表していることが珍しい。
檜の一木造で、頭・体の幹部材は左第二手上膊、第三手すべて、右第三手上膊、右足脛後半部までを含んでおり、内刳はない。
制作期は、両側面で見せる穏やかな優しい体形から、11世紀初頭と考えられる。
前面は朽損が目立ち顔は整え直されているが、その保存状態は極めてよく、多くの手先が当初のものを残すのは貴重である。
室生寺灌頂堂 如意輪観音菩薩像 右 室生寺灌頂堂 如意輪観音菩薩像 左
如意輪観音菩薩像(左右の側面より)

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