<7世紀>
  • 中国 : 隋を滅ぼした唐が強大な国家を作り上げ、
  • 朝鮮 : 高句麗・百済・新羅の三国もそれぞれに国家体制の強化をはかり、対立を強めた。
日本(倭)でも権力の集中化をはかる動きが高まり、政変が相次いだ。
大化元年(645)、中大兄皇子と中臣鎌足は蘇我蝦夷・入鹿父子を倒し、孝徳天皇を擁立して新政府を樹立
⇒ 新政府は地方制度・徴税制度などの改革を推進するとともに、飛鳥から難波へ遷都した

しかし、次の斉明天皇の時代には、唐・新羅による百済攻撃の機運が高まり、都はまた飛鳥に戻った。
斉明天皇は飛鳥で宮殿の造営など大規模な土木工事を行ったとされる
⇒ その様相は、以下の最近の発掘によって次第に明らかにされつつある。
  • 酒船石周辺の山裾から発見された精巧で大規模な石垣
  • 亀形の石槽をもつ祭祀遺構
  • 石神遺跡の広大な石敷広場
  • 水落遺跡の漏刻施設など
「石の文化」とされる飛鳥の文化の一つの特色がもっとも発揮されたのが、この斉明朝であった。
斉明天皇6年(660)、唐と結んだ新羅は百済を滅ぼした
朝廷は百済の再興をはかり、大軍を朝鮮に送った
⇒ 天智天皇2年(663)、白村江(はくすきのえ)の戦いに敗れ、退いた
⇒ 戦後、天智天皇は防衛体制を強化するとともに国内諸制度の整備に力を注ぎ、同6年(667)、近江の大津に遷都した(ここに再び都は飛鳥の地を離れることになった)

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