(ほうざんじ) 公式サイト
生駒山東側中腹にある。生駒聖天で親しまれてきた。ケーブルの宝山寺駅を降りると道は聖天通りへと続き、しばらくすると石灯籠が列をなす参道が見えてくる。杉木立を抜けると「歓喜天」とある大鳥居、次に「般若窟」の扁額が掛かる惣門が見えてくる。
境内には、生駒山の中腹に露出する奇岩があり、般若窟と呼ばれる。山岳信仰の対象となり、役小角が般若経を書写して納めたという伝説や若年の空海が当地で修行したという説話が生まれ、修行の道場として大聖無動寺が建てられた。
この大岩壁を背に、本堂、聖天堂、多宝塔、観音堂、鐘楼などが軒を接して連なる。石畳の両側にお地蔵様が立ち並ぶ木立の中の地蔵坂道は、奥の院へと続いている。
宝山寺
宝山寺
石灯籠が並ぶ参道と大鳥居
石灯籠が並ぶ参道と大鳥居
般若窟
般若窟
多宝塔
多宝塔
お地蔵様が立ち並ぶ木立
お地蔵様が立ち並ぶ木立

境内を歩くと「永代浴油 金壱千萬円」などと破格名金額が刻まれた石が並んでいる。商売繁盛、学業成就、夫婦円満、縁切りなどあらゆる人間の願望を預かり、生き生きとした信仰が息づく寺である。
永代浴油 金壱千萬円
永代浴油 金壱千萬円

本堂
貞享5年(1688)に建立。5間4面、重層の護摩堂様式。宝山寺の根本中堂で、創建当時の面影を残す唯一の建造物。本尊の不動明王は湛海自ら刻んだものといわれている。
本堂
本堂

聖天堂
本堂に隣接する八つ棟造の建造物。棟や破風の数が多く、ひときわ目を引く。
手前が外拝殿、後方の大きな屋根が中拝殿、一番奥の火炎宝珠のある屋根が大聖歓喜天(聖天)を祀った聖天堂(通称、天堂)。
聖天堂の外回りはきらびやかな灯籠で荘厳されている。堂内安置の厨子入り五大明王像【重要文化財】は湛海芸術の粋として知られており、毎月16日に拝観できる。
聖天堂
聖天堂

奥の院
湛海作の不動明王が本尊として祀られ、大黒堂、湛海像を納めた開山堂などが点在する。
奥の院
奥の院

獅子閣【重要文化財】
明治15年(1882)、越後の宮大工吉村松太郎が設計した洋式2階建の客殿は、ステンドグラスの障子を三方に入れるモダンなものである。
また、角柱と丸柱、柱頭飾りや廻り階段と同時に床の間付きの和室を設けるなど不思議な取り合わせが調和する。
境内風景(左:獅子閣、右手前:聖天堂)
境内風景(左:獅子閣、右手前:聖天堂)

<歴史・伝説>
生駒山は古くから神聖な山として崇められていたが、奈良時代に役行者も修行し、梵文般若経を写経して魁偉な岩の窟(般若窟)に納めたと伝えられる。
般若窟頂上の禁足地には鎌倉時代とみられる宝瓶塔が残されている。
延宝6年(1678)、生駒山に入った宝山湛海は般若窟に弥勒菩薩を祀り、5間4面の仮本堂を建て、8万枚の不動護摩供を修して以来、不動明王と大聖双身歓喜天への信仰をもとに寺勢が興った。
湛海は般若窟に弥勒菩薩を祀り、十三重石塔を修復し、貞享3年(1686)には聖天堂に歓喜天を祀って鎮守とし、さらに2年後には本堂を完成させるなど復興に努め、元禄5年(1692)に名称を生駒山宝山寺と改めた。
湛海の祈祷は霊験あらたかで元禄12年(1699)、東山天皇から皇子誕生祈願の勅命を受けて法験を現して以来、明治維新まで勅願寺となっていた。
また、住友家など豪商から庶民にいたるまで幅広く信仰を集めてきた。

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