(だるまでら) 公式サイト
『日本書記』推古天皇21年(613)の条をはじめ、諸書に見える片岡山飢人伝説を由来として聖徳太子創建の寺院に列せられている。
かつて大和川の要所として栄えた大和川南の片岡の地に、真新しい本堂が建つ。聖徳太子が宮を築いた斑鳩からもほど近く、太子ゆかりの伝説も伝わっている。
境内には達磨大師の杖から一夜にして芽がでたという一夜竹や太子と達磨大師が唱和したという問答石もある。
その後、幾度か衰退するが、その都度再興され、特に室町時代には京都建仁寺の高僧・南峰禅師を住職に迎え、大規模に復興されている。創建当時の堂塔は残っていないが、現在も多くの寺宝を伝えている。
本堂中央に千手観音を祀る。向って右の達磨大師像【重要文化財】は室町時代に椿井仏師集慶の修理銘があり、彩色は画僧周文。左側には鎌倉時代の聖徳太子像【重要文化財】を安置している。
堂背後にある八角石柱の達磨寺中興記石幢【重要文化財】は文安5年(1448)に南峰が建立した。
境内には横穴式石室をもつ3基の古墳(ひとつは本堂の基壇)が残り、それが飢人の墓であるという伝承がある。
達磨寺
達磨寺

本堂
本堂
達磨大師像
達磨大師像

問答石
問答石
達磨寺中興記石幢
達磨寺中興記石幢

<歴史・伝説>
聖徳太子は斑鳩から磯長谷へ向かう途中、飢えて苦しむ人と出会い、衣服や食料を与えたが、翌日に息絶えてしまったという。それを聞いた太子は手厚く葬らせたが、後日調べると飢人の遺体は衣服を残して消え去り、亡骸が見当たらない。
この不思議な話に、いつしか飢人は達磨大師の化身だったといわれるようになり、墓の上には精舎が建立された。これを寺の始まりとし、鎌倉時代に再興された際、達磨寺と名付けられた。

ブログ村のランキングに参加しています。
良かったら 1日に1回、↓ の3つのバナーのいずれかをCLICKして、
応援してください。よろしくお願いします。
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 奈良県情報へ にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ