今年が鑑真和上円寂1250年ということで、10月5日~7日の3日間、御影堂が特別公開された。
庭園風景
庭園風景
庭園の風景を楽しむ参詣者
庭園の風景を楽しむ参詣者
廊下
廊下
庭園西側の風景
庭園西側の風景
庭園風景(東側)
庭園風景(東側)
御影堂出入口付近の風景
御影堂出入口付近の風景

御影堂 【重要文化財】
建設当初は興福寺の別当の一つ、一乗院の御殿であったが、明治4年(1871)廃藩置県に際して、奈良県庁舎として使用された。その後、奈良県は堺県、数年後には大阪府に合併され、県庁所在地が奈良を離れたことから、明治9年4月よりは裁判所庁舎として使用された。
その後、昭和39年(1964)に唐招提寺の現在地に移築され、当初の姿に復原された。
建物は書院造で、東に「玄関・殿上」を置き、西に「宸殿」を構え、間を「落ちの間」で繋いでいる。「宸殿」は南北二列に部屋を配し、南側は宸殿の間・上段の間、北側は梅の間・松の間・桜の間としている。各部屋周辺部は、南・西側に広縁、東側は御縁座敷、北側は般若廊下を設置している。
この宸殿には鑑真和上坐像【国宝】が安置され、毎年6月6日開山忌の前後含めて3日間と9月の観月讃仏会(かいげつさんぶつえ)に拝観できる。
御影堂
御影堂

鑑真和上坐像 【国宝】
国内最古の肖像彫刻の作品。像高は当時のものとしては小さめであり、これがむしろ鑑真和上その人の大きさであったと考えられている。
頭を少し左に傾け、静かに目を閉じる目の線は左右で違いがあり、鼻からは静かに息づかいが感じられるようなつくりである。禅定印を結ぶ両手先は、中心線からやや右にずらし、左右肘の高さも変えていて、細かいところまで和上の姿を忠実であるとしている。
ただ、単なる写実の像ではなく、和上が坐死したことから考えて、菩薩の境地に入った和上像を造ろうとする意識があったとされる点は見逃せない。
制作期は『東征伝』に和上遷化の予兆となる夢によってその影を模したとする天平宝字7年(763)春に当てられる。脱活乾漆造で、両手先のみ木彫に乾漆を盛っている。彩色の一部には後補が見られる。
鑑真和上坐像
鑑真和上坐像
出典:唐招提寺御影堂 特別開扉 参拝記念

別の目的で参詣し、偶然にも御影堂が特別公開されていて、ラッキーだった。開山忌も観月讃仏会も行けずに残念だったので。とても多くの参詣者がいて、鑑真和上像の人気を改めて確認させられた。庭園も整えられ、ゆっくりと眺めていると心が落ち着くような感じであった。

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