(たむけやまはちまんぐう)
東大寺八幡宮と呼ばれ、東大寺の鎮守であった。奈良時代、聖武天皇が大仏を造営した時に、宇佐八幡神を東大寺大仏守護神として勧請。天平勝宝2年(750)2月に、八幡神を迎え、神仏習合の形となり、その後、東大寺僧侶も事あるごとにその神助を仰ぎ、東大寺の守護神として深く崇敬された。
明治初年の神仏分離以前は、現在、東大寺の八幡殿に祀られている僧形八幡神坐像【国宝】は本殿に奉安されていた。鎌倉時代の建長2年(1250)に北条時頼によって現在地に遷座された。他にも、奈良時代の宝庫【重要文化財】と鎌倉時代の境内社の住吉神社本殿【重要文化財】がある。
東大寺郷の祭りとして知られる転害会(手搔会)は、ここの祭礼であり、毎年10月5日に行われ、僧形八幡神坐像はこのときに公開される。
東大寺八幡宮と呼ばれ、東大寺の鎮守であった。奈良時代、聖武天皇が大仏を造営した時に、宇佐八幡神を東大寺大仏守護神として勧請。天平勝宝2年(750)2月に、八幡神を迎え、神仏習合の形となり、その後、東大寺僧侶も事あるごとにその神助を仰ぎ、東大寺の守護神として深く崇敬された。
明治初年の神仏分離以前は、現在、東大寺の八幡殿に祀られている僧形八幡神坐像【国宝】は本殿に奉安されていた。鎌倉時代の建長2年(1250)に北条時頼によって現在地に遷座された。他にも、奈良時代の宝庫【重要文化財】と鎌倉時代の境内社の住吉神社本殿【重要文化財】がある。
東大寺郷の祭りとして知られる転害会(手搔会)は、ここの祭礼であり、毎年10月5日に行われ、僧形八幡神坐像はこのときに公開される。
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