平城京遷都に伴い、飛鳥の地にあった諸大寺が次々と奈良に移ることとなる。元興寺は、その前身が法興寺(現在の飛鳥寺)であり、養老2年(718)に現在の地に移った。
元興寺の境内は、南北4町あり、現在の塔跡より少し南に南大門があり、北大門は猿沢池手前まであったとされる。中央に、南大門、中門、金堂、講堂、食堂と各堂が並び、東側には五重大塔や観音堂、その他諸堂があり、七堂伽藍の大寺であった。
平安時代中期以降は次第に衰え、各堂の破損が甚だしく、講堂などがいくつか転倒し、金堂も1451年の土一揆で焼失することとなる。
このように元興寺はかつての勢いを失うと、五重大塔と観音堂、小塔院、極楽坊の3つの寺に分裂した。現在では、観音堂の系譜をひくのが元興寺(華厳宗)、極楽坊は元興寺(真言律宗)となっている。
元興寺(華厳宗)
大塔跡の元興寺と呼ばれている。安政6年(1859)に東側の民家の火災により焼失した観音堂跡に建てられた本堂と、五重大塔跡に残る17個の礎石残るばかりである。
五重大塔は、江戸時代頃、奈良の名物の一つに数えられていたほどの大きな塔であったと伝えられる。その高さは24丈(72m)といわれているが、実際は19丈(57m)級の塔であったようである。
平安時代初期の薬師如来立像【国宝】、鎌倉時代中期の十一面観音菩薩像【重要文化財】、五重大塔心礎の周囲から多数出土した勾玉や銭貨は、現在、奈良国立博物館に寄託している。
塔跡の礎石
塔跡の礎石
観音堂跡に建つ本堂
観音堂跡に建つ本堂
元興寺塔跡の碑
元興寺塔跡の碑
元興寺(華厳宗)の門
元興寺(華厳宗)の門

元興寺(真言律宗)
極楽坊の元興寺と呼ばれている。安政6年(1859)の火災にかかることもなく堂宇が今日に伝わる。
正門にあたる東門【重要文化財】は元は東大寺の西南院の門を室町時代に移築したものであり、堂々とした本瓦葺の四脚門である。
門をくぐると正面に本堂【国宝】、その背後に禅室【国宝】がある。鎌倉時代初期までは、細長い1棟の僧房であったが、中央部の馬道から東の曼荼羅堂の部分を改築したのが本堂である。屋根には、飛鳥・奈良時代の古瓦がまじり、丸瓦を重ねる行基葺といわれる独特の葺き方をしている。
元興寺(真言律宗)の境内風景
元興寺(真言律宗)の境内風景
本堂 【国宝】
鎌倉時代の建築で寄棟造妻入本瓦葺である。屋根瓦の一部は行基葺。禅室と連なる旧僧房を寛元2年(1244)に改築し別棟として仏堂とした。中央須弥壇の厨子には絹本智光曼荼羅図【重要文化財】を本尊として祀る。厨子背面の板に描かれた着色智光曼荼羅図【重要文化財】は収蔵庫に安置されている。
本堂
本堂
禅室 【国宝】
奈良時代に僧侶が日常起居し、修行する東室南階大房の4房分を鎌倉時代に改築したものである。切妻造本瓦葺だが、一部は行基葺である。1間ごとに板扉と連子窓があり、奈良時代の僧房を知る貴重な建物である。
禅堂
禅堂

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