(ほうとくじ)
柳生但馬守宗矩が亡父石舟斎宗厳の菩提を弔うため、沢庵禅師を開山とし、宗矩の四男列堂義仙を住職として開いた寺である。寺号は石舟斎の法名「芳徳院殿壮雲宗厳居士」に由来する。
柳生バス停から西に下った交差点を南に進み、しばらく行くと左手に見えるもみじ橋を渡り、霊源坂を上ると左手に芳徳寺がある。門前からは山並みに囲まれた柳生の里が見下ろせる。
本堂内には本尊の木造釈迦如来坐像、柳生但馬守宗矩・沢庵禅師の木像、柳生代々の位牌が祀られている。また、十兵衛筆と伝えられる『月の抄』のほか、柳生武芸に関する資料などを庫裏で展示している。
もみじ橋
もみじ橋
霊源坂
霊源坂
山門
山門
本堂
本堂
本堂までの道
本堂までの道
境内風景
境内風景

芳徳寺の北東50mの所には、柳生家代々の墓所がある。宗矩を中心に、十兵衛ら一族の墓80基余がある。
柳生一族の墓への道
柳生一族の墓への道
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柳生一族の墓

<歴史・伝説>
正保3年(1646)に寺領200石を給せられる。創建当時の建物は焼失したが、正徳4年(1714)に再建された。
柳生氏は、12世紀中頃、この地にあった春日神社の荘園を管理していたと伝わる。芳徳寺の南東の山には中世末期に柳生氏の居城があったが、天文13年(1544)に筒井氏の傘下となり、その後、松永久秀、織田信長に従った。
宗厳が編み出した柳生新陰流をもって柳生家は関ヶ原の戦い以後、宗厳・宗矩・十兵衛三厳の3代にわたり徳川家に仕え、特に宗矩は秀忠・家光の剣法師範となり、将軍家師範役として一万石の大名となった。
住所 奈良市柳生下町445
アクセス JR・近鉄奈良駅 石打・柳生・邑地中村行バス50分「柳生上」
~徒歩15分
時間 9:00~17:00(4~10月)/16:00(11~3月)
費用 拝観料:200円

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