(しょうぶいけこふん)
甘樫丘から南西に延びる丘陵の南端に位置し、墳丘は盛土の流出が甚だしく墳形・規模は不明である。
埋葬施設は南に開く横穴式石室である。玄室と羨道とからなるものと推定できるが、羨道と玄室の一部は既に破壊されていて、その形状は明確ではない。玄室は現存長7.3m、幅2.6m、高さ2.6mである。
奥壁・側壁ともに花崗岩の巨石を二段積みし、石と石の間隙や石の窪んだところには大量の漆喰を塗布している。玄室内部には漆塗棺を模したと思われる凝灰岩製の家形石棺を2つ南北に並べて配置している。
石棺の内側には漆を塗ったうえで赤彩を加えている。家形石棺に漆塗棺の影響が顕著に見られる例であり、その最末期の形態と考えられている。
一帯は五条野古墳群と呼ばれ、最も西に造られた五条野丸山古墳(畝傍陸墓参考地)から順々に東に向かって造墓が行われた。その最も東に造られた古墳である。
石室・石棺の形態から7世紀後半に造られたものと推定できる。この一帯を蘇我氏の墓域と考え、蘇我倉山田石川麻呂の墳墓とする説がある。
甘樫丘から南西に延びる丘陵の南端に位置し、墳丘は盛土の流出が甚だしく墳形・規模は不明である。
埋葬施設は南に開く横穴式石室である。玄室と羨道とからなるものと推定できるが、羨道と玄室の一部は既に破壊されていて、その形状は明確ではない。玄室は現存長7.3m、幅2.6m、高さ2.6mである。
奥壁・側壁ともに花崗岩の巨石を二段積みし、石と石の間隙や石の窪んだところには大量の漆喰を塗布している。玄室内部には漆塗棺を模したと思われる凝灰岩製の家形石棺を2つ南北に並べて配置している。
石棺の内側には漆を塗ったうえで赤彩を加えている。家形石棺に漆塗棺の影響が顕著に見られる例であり、その最末期の形態と考えられている。
一帯は五条野古墳群と呼ばれ、最も西に造られた五条野丸山古墳(畝傍陸墓参考地)から順々に東に向かって造墓が行われた。その最も東に造られた古墳である。
石室・石棺の形態から7世紀後半に造られたものと推定できる。この一帯を蘇我氏の墓域と考え、蘇我倉山田石川麻呂の墳墓とする説がある。
住所 | 橿原市菖蒲町 |
アクセス | 近鉄 岡寺駅 ~徒歩15分 |
時間 | 自由 |
費用 |
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