日時 : 毎年2月11日
場所 : 廣瀬神社境内
「大忌祭」の中で行われた一行事であり、『日本書記』には天武天皇4年より始まったことが伝えられている。朝廷より五位以上の王臣各1人、神祇官六位以下各1人が使として派遣され、五穀豊穣を祈願した祭である。
この祭の中では、御田植水口祭礼と水府舞が行われたことが享保明細帳に記録されている。水府舞は祈雨を願う神楽舞であったが現存せず、御田植水口祭礼が、現在の砂かけ祭である。
祭典は午前の「殿上の儀」、午後の「庭上の儀」の2部構成になっており、五穀豊穣と雨水の多量と厄除を願う祭である。行事は木製牛面を被った牛役、牛遣人(田人)と、早乙女によって行われる。
「殿上の儀」は、祝詞奏上の後、拝殿を田圃に見たて、苗代作り、苗取り、牛と田人による田作りを行った後、早乙女が早苗に見たてた松の葉を植える所作をして終わる。
「庭上の儀」は、拝殿前の広場に青竹を四本立て、注連縄を張り臨時の田圃を作る。行うことは「殿上の儀」と同様だが、太鼓の合図で田人、あるいは田人と牛役が出て田作りの所作をする。その時に、田人・牛役と参詣者とが砂を掛け合うことから、「砂かけ祭」と呼ばれている。
その後、早乙女が田植えを行い、最後に参詣者に対して松苗と田餅を撒いて終了となる。
松苗は松の枝で作られ、田の水口に刺しておくと、悪病、害虫、悪水から田を守る(または、家の玄関口に刺しておくと厄除けのお守りとなる)。田餅は、これを食べることで無病息災で1年を過ごせる御神徳がある。
13:00過ぎに到着すると、諏訪太鼓の奉納がされていた。既に多くの人で賑わっている。
拝殿における諏訪太鼓の奉納
拝殿における諏訪太鼓の奉納

拝殿前には田圃の準備がされていて、嵐の前の静けさといった感じ。
田圃に見たてられた砂地
田圃に見たてられた砂地

14:00になると田人が登場し、いよいよ砂かけ開始。
境内の様子
境内の様子
砂かけの風景
砂かけの風景
拝殿前の参詣者は砂まみれ
拝殿前の参詣者は砂まみれ
砂が舞う様子
砂が舞う様子

しばらくすると、牛役も登場し、徐々に砂かけの範囲は境内全域へ拡大する。
牛役
牛役
牛役は木製牛面をとって砂かけ
牛役は木製牛面をとって砂かけ
田人の迫力ある砂かけ
田人の迫力ある砂かけ

早乙女による田植えになると、この後の松苗と田餅の争奪戦に向けた緊張感がある雰囲気へ。
早乙女による田植えの所作
早乙女による田植えの所作

ラストは松苗と田餅の争奪戦。
田餅を撒いている様子
田餅を撒いている様子

ブログ村のランキングに参加しています。
良かったら 1日に1回、↓ の3つのバナーのいずれかをCLICKして、
応援してください。よろしくお願いします。
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 奈良県情報へ にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ