(いそのにますたくむしたまじんじゃ) 公式サイト
高田市駅の北、国道166号線に西面して鎮座する。『新撰姓氏録』には「多久都玉命(たくづたまのみこと)」とあり、古代には爪工連(つまたくみのむらじ)が祖神を祀った。現在は、主神に建玉依彦命(たけたまよりひこのみこと)・建玉依比売命、配神に豊玉彦命・豊玉比売命、相殿神に天児屋根命(あめのこやねのみこと)・国狭立命(くにさたちのみこと)を祀る。
『延喜式』神名帳葛下郡「石園坐多久虫玉神社」に比定され、市内唯一の式内社である。通称は龍王宮、地元では「龍王さん」が訛ったもので、「じょうさん」と呼ぶ。
享保4年(1719)の銘の手水鉢には「高田寺内町竜王宮」と刻まれている。龍王宮と称す由来は明らかではないが、祈雨神・農耕神として崇拝され、御田植祭が行われる。
境内には、稲荷・戎・白龍・祖霊・金毘羅の社を祀る。創立年代は明らかでないが、『日本三代実録』清和天皇の貞観元年(859)に「石園多久豆玉神」の名があり、貞観以前を示す。もとは社頭の西に川が流れ、二重欄干を構えた石橋が架かり、木々が茂る幽深なる社であったが、現在はその面影はない。
鳥居
鳥居
境内にある摂社(手前から金毘羅、祖霊、白龍、戎、稲荷)
境内にある摂社(手前から金毘羅、祖霊、白龍、戎、稲荷)

鎮座地一帯は中世磯野荘に含まれ、室町時代の磯野荘古図(談山神社蔵)によると付近に斉神・馬場前の地名があった。神社の北には、神宮寺の伝福寺があって、寺内諸坊に社僧がいた。上梁文に「承久元年(1219)七月重修」「応永12年(1405) 磯野 中村 横大路 今里 氏人等再造」とあったという(『大和志』)。
社殿は放火によって平成2年(1990)に全焼したが、平成5年(1993)に再建された。「文政13年(1829)」銘のおかげ参り絵馬は焼失したが、中央公民館2階に複製がある。
神社入口左に「安寧天皇片塩浮穴宮跡」の石碑が立つ。『古事記』に「師木津日子玉手見命坐片塩浮孔宮治天下也」、『日本書紀』に「安寧天皇二年遷都於片塩是謂浮穴宮」とある。「安寧天皇の宮跡」をこの地に比定している。他に橿原市四条町付近説、河内説、大和高田市三倉堂説などがある。
拝殿
拝殿

住所 大和高田市片塩町15-33
アクセス 近鉄 高田市駅 ~徒歩1分
時間 自由
費用

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