(やたがらすじんじゃ) 公式サイト
『続日本書記』巻三 慶雲2年(705)に「八咫烏の社を、大倭国宇太郡に置きて之を祭らしむ」と記され、すでに奈良朝以前に創祀勅祭されていた。『延喜式』式内社である。
中世には衰退していたようであり、『和州旧跡幽考』にも「社くづれ果て礎のこれり」とある。文政年間(1818~1830)に社殿が復興される。
また、『宇陀郡史料』によると明治7年以前は山城国京都下鴨神社の鴨県主が古来より毎年一度参詣するか、奉幣使を送っていたとある。当時9戸の高塚村では、その負担に耐えかねたためとされている。現在は、近年の整備により立派な社殿が建設されている。
下鴨神社との関わりは、社名の八咫烏にあり、『日本書紀』の神武東征神話に登場する神武天皇を導いたとされる3本足の烏のことで、鴨県主の祖建角身命の化身だとすることによる。
『新撰姓氏録』右京神別下の鴨県主の条には
「賀茂県主同祖。神日本磐余彦天皇。中洲に向かわんと欲するの時。山中嶮絶。跋渉の路を失う。是に於いて神魂命の孫、鴨建津身命・大烏の如く化して翔飛して導き奉り、遂に中洲に達す。時に天皇その功あるを嘉し、特に厚く褒賞。八咫烏の号 此れより始る也」 とあり、後の神武天皇が熊野の山中が嶮しく道を失った時に、鴨建角身命が八咫烏となり、神武天皇を大和へ導いたとされている。
京都地方の鴨県主は八咫烏の子孫であると伝承されており、下鴨神社の祭神もまた鴨建角身命である。
なお、日本サッカー協会(JFA)のシンボルマークは八咫烏で、境内には平成14年に同協会等が必勝祈願を行った際に崇敬者より寄贈されたモニュメントがある。
八咫烏神社 鳥居前
八咫烏神社 鳥居前
拝殿
拝殿
本殿前
本殿前
本殿
本殿
八咫烏のモニュメント
八咫烏のモニュメント

住所 宇陀市榛原区高塚42
アクセス 近鉄 榛原駅 菟田野町・岩端・大又・杉谷行きバス7分「高塚」~徒歩3分
時間 自由
費用

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