(つきがせばいりん)
奈良県の三大梅林 奈良県の北東端、京都・三重との県境部にある月ヶ瀬を流れる名張川が刻む雄大なV字谷の両岸に広がる梅林。月ヶ瀬橋を中心に、右岸の高原部・尾山地区および下流部の桃香野地区にかけて1万本超の梅の木が植えられている。尾山から月ヶ瀬橋にかけては、一目八景、天神梅林、祝谷梅林、鶯谷梅林、一目千本などの景勝地がある。
見頃になると一面が梅の花で満たされる。以前は、渓谷一面、梅で埋め尽くされていたようであるが、昭和44年(1969)に下流の京都府南山城村に高山ダムが建設されて、渓谷は水没した。ダム湖は月ヶ瀬湖とも呼ばれており、ダム湖を通して眺める現在の眺望も魅力的なものとなっている。
観梅には、旧村役場があった月ヶ瀬行政センター辺りからが一般的であるが、産業観光施設のロマントピア月ヶ瀬からめぐるのも人気である。
こうした梅林を世間に知らしめたのは、この地を訪れた多くの文人墨客たちである。近世では、韓聊玉、斎藤拙堂、頼山陽、藤沢東畡林、近藤芳樹、三蔭顕遠、松尾芭蕉、山岡鉄舟、近代では、伊藤博文、福沢諭吉、井上馨らである。
騎鶴楼という宿には、彼らの残した書画があり、梅林の時期にあわせて公開されている。
明治以降の近代化に伴い、梅林は危機を迎えた。大正11年(1922)に国の名勝に指定されるが、月瀬保勝会に尽力は大きい。太平洋戦争中および戦後、食糧不足に梅林は大きく減少した。高山ダム建設に伴い植え替えや新たな造成により、現在の景観を造りだしている。
月ヶ瀬の名産は梅であり、梅干しは当然として、烏梅(うばい)がある。これは黒梅とも呼ばれ、梅の実を燻したもので、表面が黒くなるため「烏」の字があてられているとされる。これは紅染めには欠かせない媒染剤であり、15世紀頃から製造されている。製法は「中国から伝えられた」や「後醍醐帝の笠置落ちに際し、側女が伝えた」などと言われているが、詳細は不明である。江戸時代には特産として、京・大坂に多く売られていたという。現在もその製法は伝えられている。
また、大和茶やこんにゃくなどの特産品を販売する土産物店があり、梅の郷月ヶ瀬温泉もある。
月ヶ瀬梅林 石碑
月ヶ瀬梅林 石碑
一目八景からの眺望
一目八景からの眺望
<参考>
月ヶ瀬村は平成17年(2005)4月に町村合併で奈良市に編入された。古くは月ノ瀬とも書き、明治以降は月瀬と称していたが、昭和43年(1968)に条例で月ヶ瀬の表記に統一された。
住所 奈良市月ヶ瀬
アクセス JR・近鉄 奈良駅 石打行バス68分「尾山」~徒歩数分
他、月ヶ瀬口駅から臨時バス15分など春の観梅シーズンは種々の方法あり
時間 自由
費用

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