あおによし

奈良の地理、歴史、遺跡・古墳、寺院、建築・絵画、伝統行事などをノート形式でまとめたブログ です。
奈良検定受検対策と奈良情報、奈良の風景写真に関する内容が中心です。

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2016年8月6日にホームページ「aoniyoshi」http://eich516.comを開設し、当ブログの記事をベースとしたページを順次作成して、更新しています。

今後は活動の中心をホームページとしますので、当ブログは移行後、閉鎖する予定です(2017年8月予定)。

【生駒・斑鳩】

2013.09.28撮影 千光寺の行者堂は境内奥にあり、一層と木々が覆い茂る山深い風景の中にある。修験の霊場としての雰囲気を感じることを意識して撮影した。 構図として整ったものではないけど、その整わない感じが気になった一枚。 ...

(せんこうじ) 櫟原(いちはら)川を遡った深い山中にある寺院。役行者が大峯山を開く前に修行していたことから「元山上(もとさんじょう)」とも呼ばれ、修験道の霊場として知られる。 寺には行場があり、修行者を見守るように境内にはたくさんの役行者の小像が並ぶ。参道 ...

(きちでんじ) 公式サイト 斑鳩にあり、長く病むことなく往生できる、「ぽっくり往生の寺」として親しまれる。法隆寺の南西、樹木に覆われた参道をぬけると江戸時代再建の本堂が見える。 「大和のおおぼとけ」とも呼ばれる木造阿弥陀如来坐像【重要文化財】は像高225.8cm ...

(たつたじんじゃ) 風雨を鎮め、水難、疫病を防ぐ神と、楓、桜等の四季を司る神を祀る。崇神天皇の代に年穀の凶作が続いた時、自らト占をもって占い、天神地衹を「朝日日照處、夕日日隠處」龍田小野である龍田山の聖地に鎮座した。 聖徳太子(当時16歳)が法隆寺建立を企 ...

2013.09.14撮影 長弓寺本堂の東側の脇道から、見上げるように撮影。木々の緑もまだ残っていて、本堂の重厚な濃い茶色とのバランスを意識した構図にしてみた。 本堂は古く、重厚感のある感じなのに、手前の整えられた道の様子が、なぜか合っているように思える、少し不 ...

(ちょうきゅうじ) 石造りの大きな鳥居をくぐると、参道が真っ直ぐに延び、小ぶりな山門がある。鳥居は寺の鎮守社だった伊弉諾(いざなぎ)神社(牛頭天王宮)のものだが、これは神仏習合の名残で、中世の頃、長弓寺の住職は神職も兼ねていたとされている。 山門が小ぶり ...

(ほうざんじ) 公式サイト 生駒山東側中腹にある。生駒聖天で親しまれてきた。ケーブルの宝山寺駅を降りると道は聖天通りへと続き、しばらくすると石灯籠が列をなす参道が見えてくる。杉木立を抜けると「歓喜天」とある大鳥居、次に「般若窟」の扁額が掛かる惣門が見え ...

(ちくりんじ) 行基の住んだ生駒仙坊に始まり、生駒院とも呼ばれたとみられる。行基が文殊の化身とされることから、文殊霊場である中国五台山大聖竹林寺にならって大聖竹林寺ともいう。 天平21年(749)に行基が喜光寺で入寂したのち、弟子たちは遺言によって生駒山東陵で ...

(ほうりゅうじ さいえんどう) 【国宝】 奈良時代の創建と考えられ、本尊として奈良時代の脱活乾漆造の薬師如来坐像を安置する。 現在の建物は鎌倉時代の建長2年(1250)の再建となる。 平面八角形の八角円堂で、扉は正面をはじめ四方に設けるものの、連子窓は背面側には ...

(ほうりゅうじ だいこうどう) 【国宝】 講堂は寺僧が集い仏法の講説を聴聞する場所であり、通常伽藍の後方に位置する。 現在の大講堂は延長3年(925)に鐘楼などとともに焼失した後、正暦元年(990)に再建された。 再建の時期くらいから流行する屋根の勾配を急にして屋 ...

(ほうりゅうじ ゆめどの) 【国宝】 聖徳太子一族が居住した斑鳩宮の故地に奈良時代になって造営された東院伽藍の中心堂宇である。 聖徳太子およびその一族の冥福を祈願し、その遺徳をしのぶために聖徳太子等身の姿を写したと伝える救世観音像を本尊として安置する。 ...

(ほうりゅうじ ごじゅうのとう) 【国宝】  西院伽藍中心部の金堂西方に位置する。初層に裳階が付くので六重に見える。 後世の塔と比較すると上層にいくにしたがい平面を小さく作る逓減率が大きいため、安定感があるのが特徴である。 内部中央を貫く心柱基部に舎利容器 ...

(ながやおうのはか) 竜田川の東岸にある直径約15mの円丘である。長屋王は天武天皇の孫、高市皇子の子で、藤原不比等の死後に右大臣、左大臣になり政治の実権を握った。 しかし、藤原氏の光明子立后を阻止したため、左道により国家を傾けようとしたとの密告を受け、后の吉 ...

(ほうりゅうじ こんどう) 【国宝】 西院伽藍中央東に位置する世界最古の木造建築である。外観は二層(内部は一層)で下層に裳階(もこし)を付ける重層入母屋造裳階付き。 細部の意匠は中門と同じで、円柱のふくらみ、人字形の割束、卍崩しの勾欄や軒を支える雲斗・雲肘 ...

(ちゅうぐうじ) 公式サイト 法興尼寺、鵤尼寺ともいう。法華寺、円照寺とともに、大和の三門跡尼寺に数えられる。 法隆寺東院伽藍に隣接して控えめな伽藍を構える尼寺。 春には山吹の植え込みが華やかな境内に立つ本堂は、吉田五十八が設計した耐震耐火建築で、昭和43年 ...

(ふじのきこふん) 法隆寺から西方350mに位置する。巨大な横穴式石室を設けた直径約48m、高さ約9mの円墳である。 6世紀後半に築造されたと推定される。 大きな盗掘を受けずに東アジアでも超一級の金銅製馬具のセットが石室内から出土し、納められた石棺が未盗掘であったこ ...

(ちょうごそんしじ) 公式サイト 生駒山の南端にこぶのようにそびえる信貴山(標高437m)の南東中腹に堂塔を構え、一般に「信貴山(しぎさん)」と親しまれている。 右手に色とりどりの涎掛けをした千体地蔵を見て山門をくぐり、巨大な張り子型の寅に迎えられた境内には堂 ...

(ほうりんじ) 公式サイト  法琳寺・法林寺とも書き、地名から御井寺・三井寺とも呼ばれた。創建には、①推古天皇30年(622)に聖徳太子の病気平癒を願って、山背大兄王と由義王(ゆぎのおう)が建立したという説と、②天智天皇9年(670)の法隆寺炎上ののち、百済の開 ...

(ほっきじ) 公式サイト  世界遺産(法隆寺地域の仏教建造物) 所在地から岡本尼寺・岡本寺・池後寺・池後尼寺ともいう。『聖徳太子伝私記』に三重塔の露盤銘の全文が掲載されている。露盤は現存していないが、銘文によると聖徳太子臨終の遺命を受けた山背大兄王が太子 ...

(ほうりゅうじ) 公式サイト  世界遺産(法隆寺地域の仏教建造物) 南都七大寺 斑鳩寺あるいは法隆学問寺ともいう。飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として広く知られる。用明天皇が自らの病気の平癒を願って寺を造り薬師像を祀ることを命じたが、念願果 ...

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