あおによし

奈良の地理、歴史、遺跡・古墳、寺院、建築・絵画、伝統行事などをノート形式でまとめたブログ です。
奈良検定受検対策と奈良情報、奈良の風景写真に関する内容が中心です。

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2016年8月6日にホームページ「aoniyoshi」http://eich516.comを開設し、当ブログの記事をベースとしたページを順次作成して、更新しています。

今後は活動の中心をホームページとしますので、当ブログは移行後、閉鎖する予定です(2017年8月予定)。

【大和郡山・磯城】

(とうみょうじ) 大和郡山市の西の矢田丘陵の中腹にある古刹で、訪れる人も疎らな境内には隠れ寺の風情がある。 矢田坐久志玉比古神社の横を抜けて急な山道を上り詰めると寺前の駐車場に出る。 境内からは見晴らしがよく、奈良盆地が一望できる。新緑、紅葉の名所でもある ...

(ごりんとうおおいどう) 【重要文化財】 織田信長の後援で松永久秀を信貴山城で破り、大和の統一を成し遂げた武将である筒井順慶の廟所で、覆堂は順慶の五輪塔(墓碑)と石灯籠を覆っている。 天正12年(1584)8月に郡山城内で没した。はじめは円証寺に葬られたが、のち ...

(おおじんじゃ) 正式名は多坐弥志理都比古神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)。 神八井耳(かむやいみみ)命は神武天皇の第二皇子で、この地を本拠地とした古代豪族の多氏の祖神である。 『延喜式神名帳』では式内大社として登載され、四時祭の項の相甞神七十一座の ...

(じんらくじ) 磯城郡田原本町秦庄にあり、当地に勢力を張った渡来系氏族の秦氏の氏寺とされ、秦河勝が聖徳太子から賜った観音像を祀ったことに始まるという。 空海が留錫して『三教指帰(さんごうしいき)』を著したとも伝えられ、著作中、うるさく鳴く蛙を叱ったため、そ ...

(こおりやまじょうあと) 別名犬伏城とも呼ばれた郡山城。東側に大和郡山市役所を見ながら進み、大手前から近鉄線の踏切を渡ると、かつての鉄御門櫓がしっかりとした石組が目を引く。 城跡の南寄りはもとの二ノ丸で藩主の居館のあったところで、今、郡山高校の敷地となって ...

2013.06.22撮影 矢田寺のあじさい庭園で撮影。初めての単焦点レンズ(35mm/1.8G)を使用しての撮影であった。 もう少し全体に焦点を合わせようかと意図したけど、手前のみに合って、あとはボケ。 下2つが花がもう少しボケてたら、より立体的になっていたかな。 ...

矢田寺のアジサイの見頃は関西の都市部より10日程遅いようで、ここ数日前から見頃を向えている様子。 25,000㎡の境内にあじさい庭園や見本園があり、約60種10,000株の色彩豊かなアジサイが咲き揃っている。 アジサイ園の開園は6月1日~7月10日まで、まだまだ見頃は続く見込み ...

(からこ・かぎいせき) 寺川と初瀬川に挟まれた標高47~49mの沖積地上に立地する。 遺跡の範囲は、南北約800m、東西650m、面積約30万㎡と推定され(弥生時代最大級)、弥生時代前期から後期まで継続する国内屈指の弥生時代集落遺跡及び墓域である。 なお、環濠は最盛時であ ...

(じこういん) 公式サイト 寛文3年(1663)に小泉藩主の片桐貞昌が、亡父・貞隆の菩提を弔うため、京都大徳寺百八十五世の玉舟宗璠を開山として創建した寺。寺号は貞隆の戒名「慈光院殿雪庭宗立居士」に由来する。 片桐貞昌の号は石州といい、茶人として名高く、石州流茶 ...

(けんりつやたしぜんこうえん) 生駒山地の東に連なる矢田丘陵一帯の公園で、県立公園の指定を受けている。子どもの森や国見台展望台などを中心として、斑鳩の里から松尾寺・金剛山寺(矢田寺)・東明寺などを経て、榁木峠、霊山寺に至る遊歩道が整備されている。江戸時代 ...

矢田寺本堂の裏山には、大正時代に開かれた矢田寺四国八十八ヶ所霊場があり、1周約4.5km(1.5時間)の山道ハイキングコースになっている。四国八十八ヶ所霊場の各寺の本尊と弘法大師を2つの石仏で現している。看板が要所に設置され、道も歩きやすく整備されている。 へんろ ...

(やたでら・こんごうせんじ) 公式サイト  城下町郡山の西約4km、南北に横たわる矢田丘陵中腹に位置し、通称「矢田寺」や「矢田の地蔵さん」の名で親しまれている。正式名は金剛山寺。天武天皇2年(673年)、勅願により入唐僧・智通(ちつう)が創建したとされる。当初は ...

(まつおでら) 公式サイト  日本最古の厄除け霊場。矢田丘陵の南部にそびえる松尾山の中腹にある。北惣門から続く108の石段の上に、本堂、三重塔といった諸堂が山の起伏の中に立ち並ぶ。舎人親王が『日本書紀』編纂のとき、42歳の厄年であったため、厄除けと事業完成を祈 ...

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