あおによし

奈良の地理、歴史、遺跡・古墳、寺院、建築・絵画、伝統行事などをノート形式でまとめたブログ です。
奈良検定受検対策と奈良情報、奈良の風景写真に関する内容が中心です。

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2016年8月6日にホームページ「aoniyoshi」http://eich516.comを開設し、当ブログの記事をベースとしたページを順次作成して、更新しています。

今後は活動の中心をホームページとしますので、当ブログは移行後、閉鎖する予定です(2017年8月予定)。

【宇陀】

(みつえじんじゃ) 祭神の久那斗神は行路を安全に守護する道饗祭の主神、八衢(やちまた)二神(八衢比古神と八衢比女神)は悪や禍を塞ぎ守る神である。 三重県境に近い神末川西岸の通称・斎宮に接して鎮座する。古棟札に「伊賀之国名張上津江之御宮(天文23年)」、「国津 ...

(びょうぶいわ) 天然記念物 標高868m、兜岳の南西に屏風のように柱状節理の巨大な岩壁が連なっている。高さは約200m、長さは約1,500mにわたる。 この岩は、室生火山岩主部の流紋岩質溶結凝灰岩で、十数mから450mの層を形成していることから、火山活動が何回か繰り返された ...

(おかだのたにのはんげしょうえん)  現地に掲げられている解説によると、半夏生の名前の由来は、半夏生(太陽の黄経が100°になる日)の頃に花を咲かせるという説と、葉の一部を残して白く変化する様子から「半化粧」とする説があるとのこと。 また、葉の片面(表面)だ ...

2014.04.12撮影 近鉄の榛原駅から少し南下し、宇陀川沿いに進むと桜並木がある。一定間隔で整然と並んでいるので、満開になると桜が連なっているように見えて、見応えのある桜並木となる。撮影した、この日は薄曇りだったので、晴れていたらもう少しはっきりとした桜並 ...

宇陀市大宇陀本郷地区には、戦国武将として活躍した後藤又兵衛が落ち延び、僧侶となり一生を終えたという伝説があり、後藤家の屋敷跡にある枝垂れ桜を「又兵衛桜」と呼び、親しんでいる。 樹齢300年とも伝えられ、幹周約3m、高さ約13mの巨樹は見るものを圧倒する。 奈良県 ...

榛原区下井足の水分神社 舟形山に鎮座する。祭神は、天水分神、国水分神、天児屋根命、品陀和気命。創祀は、太古の国史『三代実録』(奈良時代~平安時代に編集された六国史本)によれば、貞観元年(859)9月8日、宇太水分神社へ風雨祈願のため勅使を遣わし、幣(お金や織物 ...

(もりのきゅうやくえん) 公式サイト 城下町の面影を残す大宇陀区の中心街地である旧松山町の中ほど東側に「元祖吉野葛 大葛屋」の看板がかかる森野家がある。 森野家の先祖は元和2年(1616)に吉野の下市から宇陀松山に移住、農の傍ら代々葛粉の製造にあたってきた。こ ...

(やたがらすじんじゃ) 公式サイト 『続日本書記』巻三 慶雲2年(705)に「八咫烏の社を、大倭国宇太郡に置きて之を祭らしむ」と記され、すでに奈良朝以前に創祀勅祭されていた。『延喜式』式内社である。 中世には衰退していたようであり、『和州旧跡幽考』にも「社く ...

(あきじんじゃ) 延喜式内社で『大和志』には神戸明神と称するとあり、『皇太神宮儀式帳』には宇太阿貴宮、『倭姫命世記考』には神戸大神宮とあることから、この地は神戸の地であったと見られる。 創祀については、倭姫命の神幸の伝承によるとの説がある。『皇太神宮儀式 ...

(だいがんじ) 七福寺ともいう。寺伝によれば、飛鳥時代の創建とされる(聖徳太子が蘇我馬子に命じて建立させたと伝わる)。 十一面観世音菩薩立像は西国三十三ヶ所観音霊場の開基として名高い長谷寺の徳道上人が神亀元年(724)に彫ったもの、あるいは弘仁時代(810~823 ...

(うだみくまりじんじゃ) 水源地は農耕に欠かすことができない水を配分・調整する「水配り」の地として信仰の対象となることが多く、農業が盛んであった大和の各地には多くの水分神社があり、人々の信仰を集めている。 特に有名なのが、『延喜式』式内社の葛城水分神社、 ...

(せいれんじ) 公式サイト 浄土宗の尼寺である。四囲を緑濃い山々に囲まれた山紫水明の地で、尼寺らしく閑静で清楚な雰囲気をもち、心が清められる感じがある。境内には正面に中将姫御影像を祀った茅葺の開山堂、中将姫19歳の姿を模した法如坐像を本尊として安置している ...

(すみさかじんじゃ) 『記・紀』崇神天皇の条に、悪病流行、人民死に絶えようとした時、『日本書紀』では神人が、『古事記』では大物主神が天皇の夢の中に現れて、墨坂の神に赤色の盾矛を、大坂の神に黒色の盾矛をもって祀れとの教えに従ったところ、悪病は止んで民平穏と ...

鳥見山(735m)の頂上近くにあり、勾玉池を中心とする高原上の自然公園であり、園内には神武天皇跡伝承地の顕彰碑や歌碑が多くある。 春には数千本のツツジの名所として知られ、山桜も咲き、秋は紅葉が見所となる。見晴台からからは眼下に大和盆地、宇陀の山容を一望でき、 ...

2013.11.23撮影 紅葉の名所である鳥見山公園の見晴台からの眺望。南方眼下に宇陀市菟田野の町が広がり、その山々の部分を撮影。 快晴ではなく、雲が点在しているけど、晴れて、空気も澄んでいたので比較的遠くまで見渡すことができた。 ...

(うだしまつやまちく) 宇陀市の西南に位置する松山地区は、近世城下の商家町から在郷町へと変遷したところである。 松山はこの地の豪族であった秋山氏が南北朝期以降に古城山山頂に秋山城を築城して山麓に町場を形成したことから始まる。現在は慶長5年(1600)に福島孝治 ...

奈良・町家の芸術祭 HANARART(はならぁと)2013(公式サイト)の宇陀松山エリアが、今年は10/20~10/27で開催されているので、散策してきた。 推古天皇19年(611)、宮廷の薬狩りの地として日本書記に登場し、大阪や和歌山と伊勢をつなぐ交通の要所だった「宇陀松山」は古 ...

(むろうさんじょうこうえん げいじゅつのもり) 公式サイト 女人高野として名高い室生寺と対峙する高台に、環境造形の世界的第1人者である「ダニ・カラヴァン」がデザインしたモニュメントの数々が美しい回廊を創っている。村出身の彫刻家・井上武吉が村全体をフィール ...

(むろうじ みえどう) 【重要文化財】 建立以来、何度かの改変・修理を経て、昭和50年(1975)からの修理で当初の姿に復元された。俗に、伊賀大師と呼ばれて近世には特に伊賀国の信仰を集めた。 方一間の母屋のまわりに庇をつけた一間四面堂で、宝形造(ほうぎょう ...

(むろうじ みろくどう) 【重要文化財】 正面3間、側面3間、入母屋造、柿葺で、様式から鎌倉時代中期頃の建立と考えられている。 ただ、当初のまま残るのは、方一間の内陣だけで、側廻りは近世に造り直されている。 外部からは見えないが、内陣と屋根との間に中間 ...

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