あおによし

奈良の地理、歴史、遺跡・古墳、寺院、建築・絵画、伝統行事などをノート形式でまとめたブログ です。
奈良検定受検対策と奈良情報、奈良の風景写真に関する内容が中心です。

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2016年8月6日にホームページ「aoniyoshi」http://eich516.comを開設し、当ブログの記事をベースとしたページを順次作成して、更新しています。

今後は活動の中心をホームページとしますので、当ブログは移行後、閉鎖する予定です(2017年8月予定)。

【全般】

寸法 幅:31.7cm 長さ:1424.1cm 命蓮の生国である信濃国から姉の尼公が、はるばる信貴山まで命蓮を訪ねてやって来る。 東大寺の大仏前で祈りかつまどろむ尼公のさまを描いた部分が、異時同図法を用いた圧巻として知られる。 すさまじい法力を持った命連の中の人間味あふ ...

寸法 幅:31.7cm 長さ:1290.8cm 命蓮の加持祈祷の力で、病の床にあった醍醐天皇の病いが平癒する。 命連上人の法力が、庶民の間だけでなく天皇のもとまで伝わっていたことを強く印象づけている。 延喜年間のこと、醍醐天皇がご病気になり、この平癒祈願を噂に聞く命 ...

寸法 幅:31.7cm 長さ:879.8cm 命蓮が神通力を行使して、山崎の長者のもとに鉢を飛ばし、その鉢に校倉造りの倉が乗って、倉ごと信貴山の命蓮の所まで飛んできたという奇跡譚である。 空を飛んでいく倉、驚いて見上げる人々などが絵巻特有の横長の画面を駆使して描かれて ...

国宝 日本三大絵巻の一つ平安時代の名品 ⇒ 他は『伴大納言絵詞』・『源氏物語絵巻』 ※ 『鳥獣人物戯画』を入れて四大絵巻ともいう 藤原時代の宮廷絵師の作が有力な説 毘沙門天王の聖地における篤い信仰のもとに制作された全三巻の絵巻物 原本は奈良国立博物館に寄託し ...

日本の古代国家は、以下のことより全盛期を迎える。 大宝律令の施行によって完成 適した都を持つことになる 「咲く花の 匂うがごとく」と『万葉集』に歌われた時代の始まりである。 近年の研究では、平城京は約7万人の人口を有し、平城宮に勤務する官人その他は約1万人 ...

和銅3年(710)、都は藤原京から、奈良盆地の北端、平城京に遷都 延暦13年(794)、平安京に遷都 一時的に平城京以外の地に遷都したことがあり、また延暦3年(784)には長岡京へ遷都が行われたが、政権の所在地として奈良が主な地位を占めていた時期であるため、和銅3年 ...

<天武天皇の時代> 飛鳥の最後の栄光 天武天皇元年(672)、壬申の乱で近江の朝廷を倒した大海人皇子は飛鳥浄御原宮で即位して天武天皇となる。⇒ 飛鳥は三度宮都の地となる。天武天皇は強力な支配権を確立し、 国家の諸制度を整備し、天皇制の基礎を固めた 天 ...

【POINT】 [貴人形]中国風の官服や礼服を着る [武将形]甲冑を身にまとう [鳥獣形]頭部が鳥や象などの獣面 ■ 基本 六道のひとつ天界または天界に住む神々を天という。天部はサンスクリット語のデーヴァの意訳である。 草木、鳥獣、山河 ...

【POINT】 猛々しく恐ろしい忿怒の顔 さまざまな武器を持つ ■ 基本 密教では仏尊ごとに定められたことばを唱えると、その功徳に沿った祈願が成就するという信仰があり、そのことばを真言、あるいは明呪(みょうじゅ)という。 ⇒ この明呪をつかさ ...

<7世紀> 中国 : 隋を滅ぼした唐が強大な国家を作り上げ、 朝鮮 : 高句麗・百済・新羅の三国もそれぞれに国家体制の強化をはかり、対立を強めた。 日本(倭)でも権力の集中化をはかる動きが高まり、政変が相次いだ。 大化元年(645)、中大兄皇子と中臣 ...

6世紀末から7世紀にかけて、女帝・推古天皇は蘇我馬子や聖徳太子(厩戸皇子)をブレーンとし、中国の随に遣いを送り、朝廷の儀礼や制度の整備をはかった。 遣隋使に従った留学生・学問僧の多くは大和の渡来系の人々で、多くの新知識を携えて帰国し、政治の改革や制度・文物 ...

【POINT】 条帛(じょうはく)、天衣、裳を身にまとう 華やかに装身具を身に付ける 髪を結い、宝冠を頂く ■ 基本 菩薩はサンスクリット語のボディサットヴァを音訳したものである。 本来は、悟りを求めるものという意味。 仏教成立当初は、悟り ...

【POINT】 一枚の布をまとうだけ 装身具を身につけない ■ 基本 如来は、サンスクリット語のタターガタを意訳したもので、「如」つまり「真理」の世界から現れたという意味である。 仏陀(悟りを開いた人)あるいは、仏(仏陀の省略)ともいい、菩 ...

周囲を緑の山々に囲まれた大和の地は 古代王権誕生の地 『古事記』、『日本書紀』(紀伝)に伝えられる多くの神話や伝説が残されている地 『万葉集』の歌に代表される古代文芸の生まれ育った地 である。 『古事記』に残る倭建命(やまとたけるのみこと)の歌 ...

前方後円墳という、世界に類を見ないかたちの巨大墳丘墓(古墳)の造営が、ヤマト王権と呼ばれる政権中枢への求心力と列島各地権力との政治的関係を表現する手段として使われた時代を古墳時代と呼んでいる。 <3世紀初頭> 奈良盆地東南部にある纒向遺跡(桜井市)が ...

奈良県において弥生時代の遺跡や遺物の研究を全国レベルで大きく推進させたのは、昭和11~12年(1936~1937)の田原本町唐古池の発掘調査である。 多数の貯蔵穴や井戸、河道から大量の土器、石器、木器、骨角器、骨や種子などの自然遺物が出土 ⇒ 『大和唐古弥生式遺 ...

旧石器時代 奈良盆地に人類の足跡が刻まれたのは、姶良丹沢火山灰が降下する以前の約25,000年以上前の後期旧石器時代 奈良県での本格的な旧石器時代研究は、二上山北麓に展開するサヌカイト(讃岐石)原産地の遺跡群の調査と研究によって推進された。 桜ケ丘第一地点 ...

律令政治が整い、仏教も定着し、唐様式が取り入れられ、大型の金銅仏が造立されるようになる。 また、伽藍配置は仏舎利を納める塔中心から仏像を安置する金堂中心に移っていった。これを現身仏(仏舎利)重視の考え方から理仏(仏像)重視の考え方への変遷によるものであ ...

日本に仏教が伝えられたのは552年(もしくは538年)、朝鮮半島の百済の聖明王により欽明天皇へ仏像・経典が伝えられた。 古代寺院の伽藍配置は、仏舎利を安置する塔を信仰の対象としたため、塔が寺院の中心に位置するものである。 飛鳥寺式 寺院の中心に塔 ...

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