(きんしょうじ) 公式サイト 所在地 元山口駅を生駒方向へ、竜田川を渡ったところに位置する 歴史 天平18年(746) 春日社に参詣していた行基が竜神のお告げを受け、聖武天皇の勅許を得て、椣(しで)の霊木に薬師如来を刻んで堂宇を建てたのが起源と伝わ ...
寺院
唐招提寺 中興堂
(とうしょうだいじ ちゅうこうどう) 覚盛上人(かくじょうしょうにん)没後750年の御遠忌記念事業として建立 建築様式は鎌倉様式 屋根は寄棟造、本瓦葺 正面3間蔀戸、内明障子引き違い 側面は正面より前2間は横舞良戸(よこまいらど)引き違い、内明障子片引き、その他 ...
唐招提寺 勅額
(ちょくがく) 【重要文化財】 木製 縦148.0cm・横117.0cm 唐招提寺の南大門に掲げられていた扁額 ⇒ 講堂内に収蔵 孝謙天皇(718~770)の御筆と伝えられ、講堂または中門に掲げられていたと伝わる 文字は王義之(おうぎし)の書風にならった細身の行書 字の輪郭線か ...
神野寺
(こうのじ) 所在地 神野山の中腹 歴史 創建以来3回の火災で寺伝は明らかでない 天平13年(741) 聖武天皇の勅願で行基が創建したと伝えられる 平城京の鬼門鎮護の寺として尊崇が篤かったと伝わる 寺号は法性寺正院といったが、のちに嵯峨天皇の神野親王の ...
朝護孫子寺 神木榧の木
(ちょうごそんしじ しんぼくかやのき) 樹齢1,500年の榧(かや)の木 蘇我氏と物部氏が政治の実権を争っていた時代であり、1,500年前、一粒の榧の実から若芽がこの地で誕生したとされている それから100年後、仏教の普及に努力していた蘇我馬子とそれに対抗していた物部 ...
朝護孫子寺 空鉢護法堂
朝護孫子寺の境内にある虚空蔵堂から空鉢護法堂への参詣道は始まっている。片道約600mで約20分を要する急な山坂道である。 虚空蔵堂 途中には多宝塔があり、その右脇を登っていく。この塔の祭壇には大日如来が祀られているとのこと。元禄2年(1689)建立、明治15年(1882 ...
柳生三代の墓
芳徳寺の北東約50mの所に、柳生家歴代の墓地がある。80余りの石塔が並び、北面中央付近に2列目中央に宗矩の墓。 柳生三代の墓とあるが・・・有名な三代は宗厳(石舟斎)、宗矩、三厳(十兵衛)。墓所で三代が並んでいるのは、宗矩、三厳(十兵衛)、宗冬。 柳生家墓所 ...
真福寺
月ヶ瀬梅渓を一望できる山上にあり、名勝月ヶ瀬梅林発祥の地とされている。治承2年(1117)の創立とされており、江戸時代中期に再建されて現在に至る。 境内には、「姫若の梅」といわれる古木がある。元弘2年(1331)、後醍醐天皇が笠置山に遷幸されたときに、難を避けるた ...
龍泉寺
(りゅうせんじ) 山上ヶ岳山頂にある大峯山寺の護持院の一つであり、役小角を開基、理源大師聖宝を中興とする修験道の寺院。役小角が大峯山での修行中、洞川に下って泉を発見し、その周辺に八大龍王尊を祀ったことに始まると伝わる。八大龍王尊は大峯山一山の総鎮守とされる ...
滝川寺(瀧川寺)
(りゅうせんじ) 公式サイト 奈良時代、役行者の修験道は葛城山系から吉野大峰で盛んになり、この頃、吉野に七ヶ所龍泉寺が修験者用の宿坊として開創され、その一つである白雲山 龍泉寺が始まりとされている。 南北朝時代の嘉吉3年(1443)、南朝最後の後胤である南帝王北 ...
百済寺
(くだらじ) 當麻寺西南院の兼務寺。『日本書紀』の舒明天皇11年(639)7月条「今年、大宮及び大寺を造作らしむ」との記事に見える百済大寺の伝承の地とされる。 百済大寺は、聖徳太子建立の熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)の流れを汲む寺院とされ、そのあと、藤原京の大官 ...
本善寺
(ほんぜんじ) 公式サイト 飯貝御坊ともいう。文明8年(1476)に本願寺八世蓮如が創建し、本願寺の一字をとって本善寺と号したという。 明応4年(1495)に蓮如の子・兼継を後継住職として以来、大和真宗寺院の中枢的存在となり、近世には真宗吉野教団の本拠として86ヶ寺を ...
石位寺
(いしいでら) 桜井東部に広がる忍阪(おっさか)集落の高台の上にあり、境内には本堂と収蔵庫があるだけ。周囲には昔ながらの家並みが続き、天智・天武天皇の父である舒明天皇の御陵やその皇女・大伴皇女の墓、藤原鎌足の妻となった鏡女王(かがみのおおきみ)の墓などが ...
称名寺
(しょうみょうじ) 境内には本堂や書院、地蔵堂などが立つ。西側の築地塀内には、侘び茶の創始者・村田珠光ゆかりの茶室があり、茶道を嗜む人を中心に広く知られている。 本堂は光烟光仏(こういんこうぶつ)と称する秘仏の阿弥陀如来立像、中品中生の印を結ぶ藤原時代の ...
東大寺 大湯屋
(とうだいじ おおゆや) 【重要文化財】 東大寺の寺誌『東大寺要録』に湯室院の名があり、これが創建時の大湯屋であるとされている。 これは治承4年(1180)の兵火で焼失していて、現在の大湯屋は鎌倉復興時に重源上人が建てたもので、以後、数度大規模な修理が行われて ...
東大寺 知足院
(とうだいじ ちそくいん) 東大寺境内の北端に位置する東大寺の塔頭である。寛平2年(890)、高雄十禅師が建立したといわれる。荒廃にまかせていたのを建長2年(1250)東大寺別当の定親法印が再興し、法相宗研究の中心道場とした。 現在の本堂(地蔵堂)は文久3年(1863 ...
伝香寺
(でんこうじ) 近鉄奈良駅の西側にある「やすらぎの道」を南へ進み、三条通りを越えると右手に率川神社の森が目立ち、その南側にある。 入口は道路に面した四脚門ではなく、北側の駐車場横にある。裸地蔵と散り椿で知られ、筒井一族の墓も残る。 本堂【重要文化財】は1間 ...
不動院
(ふどういん) 通称は大日堂という。本堂の棟木に残された墨書銘によると、もとは金輪山証菩提寺といい、聖徳太子の建立と言われる。また、古い記録では光明皇后が再建し、その後破却され、文明15年(1483)に高田城主・當麻麻為長が大願主となって建立したと伝え、本堂が ...
大願寺
(だいがんじ) 七福寺ともいう。寺伝によれば、飛鳥時代の創建とされる(聖徳太子が蘇我馬子に命じて建立させたと伝わる)。 十一面観世音菩薩立像は西国三十三ヶ所観音霊場の開基として名高い長谷寺の徳道上人が神亀元年(724)に彫ったもの、あるいは弘仁時代(810~823 ...
専立寺
(せんりゅうじ) 公式サイト 高田御坊という。慶長5年(1600)に本願寺十二世准如が、新庄に陣屋をおいた大名桑山氏から高田に寺地の寄進を受けて、現在地に一宇を建立し専立寺と号したことに始まる。 百余りの末寺を従えた御坊となり浄心四世の孫である宗清が看主となっ ...