あおによし

奈良の地理、歴史、遺跡・古墳、寺院、建築・絵画、伝統行事などをノート形式でまとめたブログ です。
奈良検定受検対策と奈良情報、奈良の風景写真に関する内容が中心です。

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2016年8月6日にホームページ「aoniyoshi」http://eich516.comを開設し、当ブログの記事をベースとしたページを順次作成して、更新しています。

今後は活動の中心をホームページとしますので、当ブログは移行後、閉鎖する予定です(2017年8月予定)。

史跡

(いるかのくびづか) 飛鳥寺(安居院)の境内を西に通り抜けた先に、蘇我入鹿の首塚と伝える花崗岩製の五輪塔が立つ。 飛鳥時代、その西側には槻の木の広場があり、盟約を結んだり、宴会をしたりする場として使用された。 中大兄皇子と中臣鎌足が蹴鞠を通じて出会ったのも ...

(さいぎょうあん) 金峯神社前の坂道を登って右方への道をたどると、やがて左手に下がる道が分岐する。 付近は奥の千本、桜林の中を下ると南向きの台地にささやかな西行庵がある。かつてを偲んでの小さな庵である。 『新古今和歌集』の代表的歌人として知られる西行法師( ...

(あすかきょうあと) 明日香村の中央部、岡寺山から張り出す段丘の上に置かれた飛鳥時代の宮殿遺跡である。 昭和34年(1959)から発掘調査が行われ、三時期の宮殿にかかわる遺構の存在が確認されている。 これを古いものから順に、Ⅰ期・Ⅱ期・Ⅲ期と呼んでいる。 検出し ...

(ふじわらきゅうせき) 特別史跡 おふさ観音の南にある東西の道を1kmほど東へ進むと田園地帯にある。広い敷地内に大極殿と朝堂院の一部が復元・整備されている。 宮の中心に大極殿院、その南に朝堂院、朝集殿院を置き、大極殿院の北方には天皇の住居である内裏が配置され ...

(さるいし) 欽明陵の南西にある小さな森が、皇極(斉明)天皇・孝徳天皇の母にあたる吉備姫王(きびつひめのおおきみ)の墓である。その墓域内に猿石と呼ばれる石像が4体置かれている。 7世紀の作とみられるが、それぞれ奇抜な姿形を表し、野性味を感じさせる。 用途は不 ...

(さかふねいしいせき) 飛鳥京跡東に位置する丘陵上にあって、東西の長さ5.5m、南北の幅2.3m、厚さ1mの花崗岩で造られた石造物である。 その両側には石を割るために入れられたと思われる工具跡が残る。扁平な石の表面には円形もしくは楕円形の大小四個の窪みを作り、これら ...

(おにのまないた・せっちん) 欽明天皇陵の前から、飛鳥周遊歩道を東に400mほど進むと、丘の南斜面、道路の上と下に巨大な石造物がある。 いずれも欽明天皇陵の陪塚とされている。これらの石造物は横口式石槨の蓋石(上部)が下に転落したもので、周遊歩道の上にある鬼の俎 ...

(からこ・かぎいせき) 寺川と初瀬川に挟まれた標高47~49mの沖積地上に立地する。 遺跡の範囲は、南北約800m、東西650m、面積約30万㎡と推定され(弥生時代最大級)、弥生時代前期から後期まで継続する国内屈指の弥生時代集落遺跡及び墓域である。 なお、環濠は最盛時であ ...

奈良盆地の東に連なる美しい青垣の山裾を縫うように続く。沿道には、記紀・万葉集ゆかりの地名や伝説が残り、神さびた社や古寺、古墳などが次々に現れて、訪れる人々を古代ロマンの世界へと誘う。 山の辺の道はいくつかコースがあるが、この天理~桜井のコースがハイライトコ ...

(かなやのせきぶつ) 金屋の集落から大神神社へと続く三輪山麓の山の辺の道沿いの堂の中に、二面の石仏が安置されてる。 凝灰岩製の長方形の板(高さ約2m、厚さ約21cm)に、仏身・二重円光の光背・蓮華座を薄浮彫りにし、これを線刻を施したもので、用材は石棺の板石を転用 ...

(うちやまえいきゅうじあと)  内山金剛乗院の院号をもつ真言宗古義派の大寺であった。永久年間(1113~1118)に鳥羽天皇の勅願により大乗院本願隆禅法印の弟子である頼実法印が建立した年号寺で、平安時代には多くの堂塔坊舎をかかえた。延元元年(1336)に後醍醐天皇が ...

(へいじょうきゅうせき) 世界遺産(古都奈良の文化財) 特別史跡 平城京跡は奈良市街地一帯に所在し、その北部中央に平城宮跡がある。平城京は奈良時代の首都であり、平城宮は現代の皇居と霞ヶ関の官庁街の機能を併せ持つ。和銅三年(710)から延暦三年(784)まで存続 ...

(かめいし) 橘寺の西方約600m、田園の中の道路沿いにある。長辺4.26m、短辺2.72m、高さ1.94mの大きな花崗岩の下端部に、下向きに動物の顔が掘り出され、亀がうずくまったような形をしている。 古くから「亀石」と呼ばれ、南西方向を向いている亀石が動いて西を向けば、飛 ...

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