あおによし

奈良の地理、歴史、遺跡・古墳、寺院、建築・絵画、伝統行事などをノート形式でまとめたブログ です。
奈良検定受検対策と奈良情報、奈良の風景写真に関する内容が中心です。

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2016年8月6日にホームページ「aoniyoshi」http://eich516.comを開設し、当ブログの記事をベースとしたページを順次作成して、更新しています。

今後は活動の中心をホームページとしますので、当ブログは移行後、閉鎖する予定です(2017年8月予定)。

町並・施設

(ならこくりつはくぶつかん はっそうあん) 元は興福寺大乗院の庭園(現在の奈良ホテルの南)に建っていた古茶室である 奈良の篤志家たちにより、明治25年(1892)に博物館に寄贈・移築された 創建当初の状態をよく保っていて、茶室(四畳台目)に相の間(四畳)と水屋( ...

(ならこくりつはくぶつかん) 公式サイト 所在地 東大寺、興福寺、春日大社などに囲まれた奈良公園の一角に位置する 歴史 明治28年(1895) 帝国奈良博物館として開館 明治33年(1900) 奈良帝室博物館に改称 ⇒ 仏教美術の研究や保存、展示 明治35年(1 ...

(やぎゅうのさと) 打滝川中流域および布目川下流域に沿った小盆地に位置する柳生は、春日神社神戸四箇郷の一つに数えられる小柳生郷に相当し、平安時代には興福寺一乗院領小楊生庄が置かれた。 柳生氏は小楊生庄の荘官を務めた大膳永家を祖とし、代々この地を拠点として ...

(うだしまつやまちく) 宇陀市の西南に位置する松山地区は、近世城下の商家町から在郷町へと変遷したところである。 松山はこの地の豪族であった秋山氏が南北朝期以降に古城山山頂に秋山城を築城して山麓に町場を形成したことから始まる。現在は慶長5年(1600)に福島孝治 ...

(じょうかまち やまとこおりやま) 筒井順慶の築城に始まり、豊臣秀長、増田長盛による城郭、城下町の本格的な拡張整備で近世の大和郡山の骨格ができあがる。 豊臣秀長は南都の商業的賑わいを郡山に移して、短期間で城下町を形成した。この時、商業の先進地から集められ ...

(ならまちこうしのいえ) 主屋(三室1列型、通り庭、つし二階)、中庭、離れ、蔵で構成される奈良町の伝統的な町屋を再現し、奈良町のポイントスペースになっている。 格子の始まった時期は不明であるが、室町時代末期(1550年頃)の洛中洛外(町田・上杉両屏風)では、ほ ...

(やまとみんぞくこうえん) 公式サイト 26.6haの広大な敷地に、昭和49年(1974)開館の奈良県立民俗博物館や江戸時代に建てられた古民家を「町屋」、「国中(奈良盆地)」、「宇陀・東山」、「吉野」の4つのブロックに分かれていて移設復原しているエリアや梅林、しょうぶ ...

町全体が国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている「今井町」。 まずは、今井まちなみ交流センター「華甍(はないらか)」で町全体の歴史や様子を確認。 今井まちなみ交流センター 華甍 今井まちなみ交流センターの北側には町を囲った環濠の復元がある。 復元 ...

(いまいちょう) 橿原市今井町伝統的建造物群保存地区 伝統的な住宅が高密度に見られる住宅地で、国内有数の歴史的市街地である。 旧環濠で囲まれた東西4町半(約610m)、南北2町20間(約310m)のほぼ矩形の区域と東辺を流れる飛鳥川西岸を加えた面積17.4haである。 地区 ...

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