(やなぎのわたしあと) 吉野川の北岸と南岸をつなぐ渡し場の跡である。美吉野橋の辺りにあり、「吉野川四大渡し」「妹背の四隻」などと呼ばれた渡しの一つであった。 柳の木の下に天明6年(1786)に大阪の山上講が建てた石灯籠が遺り、台座の西面には「右よしの」、東面には ...